20230724

 食パンは、なんで裂きやすい方向が決まっているのか。焼くときに縦方向にグルテンが引き伸ばされるからだということなのだけど、ではぐるぐる回して焼けば異方性のないパンになるのだろうか。

 近所でツキノワグマの親子が目撃されたということで、警察車両が放送をして回っていた。庭で視界のはしに何か黒いものをとらえてギョッとした。ネコだった。

20230701

 雨が降り始めてきたが、なお草刈りを続けていたら、なにかの虫に刺された。事故は「あと少し」と欲をかいた最後の数分におこるという。しかしこれは本当だろうか。事故が発生すれば作業を中断するのだから、最後の数分間におこるのは当然である――とか考えつつ、やはり「ここで終わり」というときには終わるべきだと反省した。腫れている。

20230701

森林を統べる人のことを「森林カン」とよぶ。かつての王の呼称にならったもので、「官」は当て字である。「監」「汗」とも。

20230630

縄文ZINE編『土偶を読むを読む』(文学通信、2023)。「“わかりやすく大胆で一般の人の心をとらえるが、正しくない説”が出てきたときに、学問はどのように対応するか」というのは、考古学に限らない課題だ。

20230629

読んだ本

王谷晶『君の六月は凍る』(朝日新聞出版、2023)。「ベイビー、イッツ・お東京さま」は今より少し前の話だと思うので、主人公が今どう暮らしているのかを思わざるをえなかった。

小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ (3)』(早川書房、2023)。正直、どう収束させていくのかがわからない。宇宙の果てまでずっと飛んでてほしい気もあるし、一方で故郷の因習をぶっこわしに帰ってほしくもある。

原俊彦『サピエンス減少』(岩波書店、2023)。ヒトは21世紀後半には減少し始め、たぶん二度と増えない。その原因は資源的制約のためではない。そうだとするなら、宇宙に人類文明が満ち満ちて、というSFではなくて、宇宙に行きはするが薄く分布するようなのが「もっともらしい」ということになる。

20230628

 自分のしゃべっているところをビデオカメラで撮った(用事で、獲らざるを得なかった)のを確認のために見ると、どうにも変な感じがする。写真ならそこに写っているのが自分だという感じはあるのだけど、動いてしゃべっていると「これはいったい誰だ」という気持ちが高まる。自分のセルフイメージと乖離した姿を見せられるからかもしれない。むかし、人々がドッペルゲンガーを恐れたのは、こういう心理だろうか。

20230328

 いつになったらzoomは「画面共有できていますでしょうか音声聞こえておりますでしょうか」と言うのを不要にするために、画面・音声が他人に届いているかどうかを確認できるようにするのかと待っているのだが、もしかしてこれは日本のローカルなルールなのかしら。

 林業経済学会の春季大会に参加していて、恐慌としての理解が必要なのではと感じた。個々の突発的な事件が産業の変化の引き金を引くのだけど、その背景には構造の変化がある。中小規模の製材工場の廃業分の生産量(その利潤)を、大規模工場が吸収していた(それを政策的に後押しした)2000年代後半~2010年代と、廃業分の枠をおそらく使い切って、需要の上限に達したのにも関わらず資本の運動として規模拡大していかねばならないこれからとでは、問題のあらわれかたが異なるのではないだろうか。

20230311

 自然の巨大ないとなみには、ときとして人間のちからは及ばないが、そのことを常に念頭において社会を形成すれば、自然現象を災害につなげずにすむ。これを我々は早くも忘れかけているような気がする。