20221119

 大芝高原で催されていた「森と芝のマルシェ」に行った。屋台でスペイン風肉団子汁(複雑な名前の)とラザニアを食べた。ラザニアを日本に普及したのは「宇宙船サジタリウス」に相違ないと、かたく信じるものである。ラザニアは宇宙のごちそう。星屑の俺たち結構いいとこあるんだぜ。

 養蜂家の屋台では、蜂蜜だけでなく、スズメバチをレジンで固めたものを売っていた。スズメバチは養蜂業にとっては害をなすものである。こういうのに眉をひそめる人もいるかもしれないが、駆除したものであるし、私は産業の副産物として興味深いと思う。各種スズメバチが入ったのは資料としてもよさそうなので もとめた。こんな大きなのには刺されたくないものだ。

 大芝高原は、アカマツ林を中心とする平地林である。林内には歩ける道があり、ふだんから多くの人がウォーキングにいそしんでいる。セラピーロードとしても売り出しているが、地域外からの客だけでなく、近所の人が多いことが特徴だ。地域で一般利用されている森林というのは面白い。

 一方で、これだけ連続したアカマツ林は中期的にみれば松枯れの影響を避けられないだろうから、樹種転換が課題である。その前には、アカマツを有効活用したいものだ。大芝のアカマツは、もともと南箕輪尋常小学校の福澤桃十 校長が、子どもの教育のために植え始めたものなので、教育に役立てられるのがよいと思う。

 公園内には「菜洗い場」が出現していた。野沢菜などを洗う場所だ。冬は近い。

20221119

 Twitterが役に立ったことがあるとすれば、一つは普段は読まないジャンルの作家を知ることができたということと、もう一つはフェミニズムなど(私にとって)よく知らなかったことを学ぶきっかけになったということだろう。

 従来のメディアが、社会的に発言力のある人=男性の声を伝えてきたのだとしたら、私がうけとる情報はずいぶん偏ったものであった。その点では大いに参考になった。でも、それはあくまでも学びのきっかけであって、学ぶことそのものは書籍などに依っている。他者が懇切丁寧に教えてくれるということはない。知る際には私から知るしかない。

 そのほかの点でTwitterがそれほど役に立ったとは思えない。SNSを使い始めてからもう10年以上たつけど、これは私にとっての「社会」ではなかったし、「ネットワーク」の代わりになったわけでもなかった。自分が旧世紀の人類であることを思い知る。

 Twitterは、もともと役に立たせるためのツールではなくて、役に立たせようと人々が思ったあたりから間違いが生じたのかもしれない。作家の生活の様子がうかがえるようになったが、それが作品の楽しみを増やしたかというと疑問である(作家個人のファンになるということはあるにしても)。

 そこで昔の方法にいったん戻ってみることにした。SNSは、自分の言葉や写真を「いいね」されることを報酬として条件付けてしまう。しかし、他者にあまり理解されないことも、自分の表現の一部である。ウェブページの設置が普及しだしたころ、ページの利用者はまず自分自身であるということがいわれた。その出発点に立ち戻ってみたい。