20231021

 秋祭に「カヌレ」というものが出ていたので求めて食べたてみたが、見た目よりも硬くてびっくりした。なんであんな硬いの。採食する動物から中身を守っているの。

  • カヌレは生産地から長距離を運ばれるので、輸送途中で壊れないように固く作られている。
  • カヌレは、高く積み上げ、効率よく運搬できるよう、固く作られている。
  • カヌレが固くなるのは、日持ちをさせるために窯の温度を高くして焼くという製造上の都合であり、食感を改善するために目下外側まで柔らかくする研究がおこなわれている(が実現していない)。
  • カヌレの発祥地では、パンなどを穿孔して食害する虫がおり、表面を固くする必要があった。発祥地ではカヌレと虫との共進化が生じており、どんどん固くせざるをえなくなっている。カヌレを食べる際には、すでに丸鋸を要するほどである。
  • かつてカヌレは表面も柔らかかったが、領主に「カヌレの角に頭をぶつけて死んじまえ」と侮辱された菓子職人が、ならばとおもくそ固く作った故事にちなみ、現在でも固く焼くことになっている。
  • 表面が固いのは副次的なことで、カヌレの表面が炭化していることが重要である。これはカヌレが雷にうたれたことを表している。ある菓子職人が、「あなたという雷に私は打たれた」ということを伝えようと表面を炭化させたカヌレを贈ったが、伝わらなかったという故事にちなむ。カヌレの菓子言葉は「私には固く秘めた想いがある」。
  • アラビアを旅し、砂漠で飢えた菓子職人が、誰かが残したカリカリに乾燥したパンをみつけて命をつないだ。その味を再現しようとしたが、故郷の湿度では腐ってしまう。そこで表面を固く焼き、味を近似的に表現した。カヌレをうみだした菓子職人は、それでも納得できず再び砂漠へと赴いた。職人のその後を知る者はいない。
  • カヌレというものはもともとなく、近代こそがカヌレをつくった。
  • カヌレが固いのではなく、他の食品が柔らかくなったのである。
  • カヌレは本式では、コーヒーにひたして柔らかくなったところを食べるもので、固いまま食べるのは略式である。19世紀後半のモンマルトルのボヘミアンがはじめた。
  • 実はカヌレには固いものも柔らかいものもあるが、固いものだけが日本に紹介された。瓦せんべい屋が売り始めたからだという説がある。

20231016

 小学生に、いまハマっているものを聞くと、ジェネレーションギャップをびしびし感じる。なにひとつわからない。農村調査をしたてのころみたいな感じで面白い。農家と同じで、けっこう丁寧に説明してくれる。

 「このポケモンは、まえのxxxxっていうポケモンとほとんど形が同じで、色と名前を変えただけ」「最近のポケモンは怖くなって、かわいくない」とか言ってた少年が、同時に「サンタさんにはポケモンカードを頼もうと思う」と言う。愛好ゆえの批評が培われていて面白い。

20231015

 高速バスで、不思議な節まわしで車内アナウンスをする運転手がいる。

「①次は伊那インターにーー②とまりーーー(ます)」

「①車内にお忘れ物のないようーー②ご注意くだーーー(さい)」

と、①の部分を高く、②を低く発音し、語尾はほとんど聞こえない音になる(発音される場合は高く発音する)。イントネーションも特殊である。無線交信など普通の会話のときはそうなっていないので、アナウンスのときにだけこうしているのだろう。

 これはどういうふうに開発されたのだろうか。客の聞き取りやすさを考慮して、という可能性はたぶんない。実用的には、聞き取りにくいことこの上ないからだ。日本語は語尾で肯定/否定を明らかにするので、そこが消えると本来は困る。

 バス会社の社内教育によるものかもしれない。他の運転手はここまで高低をつけていないように思うが、語尾のですますをきわめて弱くし、その前の母音をのばす人は他にもいる。

 最初は普通にしゃべっていたのだが、だんだんとこのように変化してきたのかもしれない。たとえば、長い文章を記憶する方法として。あるいは、「同じことをテープが喋るのだから実用的にはなくてもよい肉声アナウンスを、社内方針でしなければならないがゆえに、聞き取れなくてもいいものとして話すスキャットのようなもの」なのかもしれない。

20231010

月には岩や砂はあるが土はない。土は生物がいて構成されるものだからだ。だから団粒構造もないしパイプ流もない。たぶん今の火星にもない。そういう天体に雨が降るとどうなるんだろうか。すぐ泥流になるのかしら。

20231009

 それなりの大きさの縫い物をするにはミシンが必要だろうということで、手芸店に行って「初心者むけのミシンはどれですか」と尋ねた。

 店員さんには丁寧に対応していただいたが、

「なにを縫うんですか?」

「布を……」

「厚物は縫いますか?」

「どこからが厚物なんですか」

という、おそらく店側にとっては「こいつは何がしたいんだ」という回答しかできず、一通り説明してもらって帰ってきた。用語も分からなかったが……。

 家電量販店で「インターネットができるパソコンはどれ」と聞いている客はこんな感じなのだろう。その分野をまるで知らない者がものを買うときの難しさを思い知った。

20231009

 魔法瓶が役立つ季節になってきた(夏も使ってたけど)。

 海外では「真空瓶」とか「熱」とか呼んでいるところ、日本では「魔法瓶」と表現しているのが面白い。「外法瓶」とか「妖術瓶」ではなく。もとが舶来物だからだろうか。お湯が温かいままというのが、われわれに一番身近な魔法なんである。

 入れたときよりお湯の温度が上がる「悪魔瓶」というのがあってもいいんだが。マックスウェル社製。ラプラス社の悪魔瓶は、お湯を入れる以前から飲むことが確定している。

20231007

 分館長(地区の公民館長)なので、大芝高原でおこなわれた村の「まっくんスポーツフェス」に運営側として参加した。

 われわれに割り当てられたブースは、胸骨圧迫をやってもらうというもので、一次救命処置の練習に使う人形(「レサシ・アン」という)で胸骨圧迫のための手の置き方などを確認してもらうものだ。

 開会後、あまりお客がこなかったので、レサシ・アンを窓際に連れていって道ゆく人にアピールしていたら(さほどの効果はなかった)、イベント後に、外でブースをやっていた人から次のように問われた。

「このあいだ、委員会か何かで真面目な話をしていた人と、人形でおかしなことをしている人とは、同一人物ですか?」(委員会の模様はケーブルテレビのニュースで放送されていたらしい)

20231003

 映画「鴛鴦歌合戦」(おしどりうたがっせん)を観た。

 白黒映画だが、カメラワークも脚本も、それほど古さを感じない。オペレッタ(ミュージカル)+時代劇という意外な組み合わせである。殿様の家来たちが、小鼓や篠笛?を持っているのに、いざ演奏し始めるとジャズバンドの音がするのも笑いどころだ。ヒロインの父親は志村喬が演じているのだけど、こいつがガラクタ骨董にはまっているどうしようもない人物で、威厳というものがない。最後は「金より愛」というところに落ち着くが、とくに感動もない、軽い娯楽映画である。エンディングの出演者が主題歌にあわせて踊るのも新しい。

 このお気楽な映画は1939年の作品である。

 当時すでに治安維持法も国家総動員法も布かれており、公開3か月前には第二次世界大戦が始まっている。映画のちょうど2年後には真珠湾攻撃だ。私などは暗黒の時代という印象なのだけど、この作品からはそういう感じはうけない。破滅の6年前なのだが。

20231003

 「高い緊張感をもってなになにする」という。緊張はテンションなので、これは「テンションの高い状態で」という意味である。ヒャッハー!

 「スピード感をもって」という。スピード感とは、実際にスピードを出すわけではなくて、スピードを出したかのようなスリルある状態を指すので、これは「暴走族のように」という意味だ。ヒャッハー!

20230926

 我々は日本のことを「クールジャパン」だと思いたいのだけど、もしかすると海外での「クール」は、ヤクザとニンジャがわらわら出てくる映画「G.I.ジョー 漆黒のスネークアイズ」のような、(我々にとっては)もっさりしたダサい感じ、謎の因習にとらわれている神秘的集団、というオリエンタリズムの「クール」なんでは。

 エンドクレジットで、ネオンサインに似せて、監督とかの名前がカタカナでびかびかっと表示される。これは最高にダサいが、街の看板に「ベータマックス」と書いてあったのは評価します。ちょっと思いつかない。「強力わかもと」には負けるけど。