『村落社会研究ジャーナル』59号の「大野晃先生講演会 私の「山村研究」から学んだ一端を!」を読むと、農村社会学の人たちは「チェーンソー」という言葉に「動力鋸」という注釈をつけることが分かる。面白い。
20231108
舌ビラメは、その名にあるように舌が立派で、海底で舌なめずりしている姿がよく見かけられる。
20231107
いいですかな、議長を互選で選ぶと規則には書いてあるが、やりたいという人が自発的に出てこないような性質の会議では、事務局が「どなたもいらっしゃらないようでしたら、事務局に腹案がありまして」と言うでしょう。そしたら、案が出てきたところで、議長候補以外の委員は低めの声で「異議なし」と言ってやるものなのです。議事録には「異議なしと呼ぶ声あり」と書くんですから、黙ってうなずいてるだけじゃいけないんでありますぞ。昨今の大学のみなさんはそこがわかってらっしゃらない。様式美なんです。
20231105
布 直角出し どうやって
ミシン 末端 結ばなくていい なぜ
まち針 刺さる 手当 方法
20231104
なに学者に注意しているのだろう。ふだん山に来ない分野の人かな。易学者とか。
20231101
単線区間で「行き違い」のためしばらく停車する旨の車内放送がかかった。情報や意見の「行き違い」が悪いことのように語られがちだが、そうしないと衝突するわけで、行き違うのはいいことなのである。
20231027
表土を柔らかい状態に保って雨水の浸透を妨げないようにするとか、滞水しては困るところを排水して人間にとって望ましい状態にするというのは、私もそうしたほうがいいと思うのだけど、それを「大地が呼吸できるようにする」というふうに説明されると「?」となる。
天然更新をはかる、広葉樹を増やす、実生の苗を用いて遺伝的多様性を保つ、活着しやすい苗木にする、などは結構なことで、私もそう思うのだけど、それを「栽培時に根切りするから直根が伸びなくなる」などの説明をされると「ほんまか」と思うのである。
20231025
林野庁の文章で「森林管理」「森林施業」「森林整備」が使い分けられているとき、その意味内容の差はどのように定義されているのだろうか。とくに後2つがどのように使い分けられているのか、文章を読んでもよくわからない。
「森林整備 森林施業とそのために必要な施設(林道等)の作設、維持を通じて森林を育成すること」「森林施業(施業) 目的とする森林を育成するために行う造林、保育、伐採等の一連の森林に対する人為的行為を実施すること」(林野庁「森林計画等の用語解説」)
――ということは、森林整備=森林施業+施設の作設・維持か。
ただ、
「森林整備とは、上記事業内容のa~jの施業とする〔……〕a 人工造林/b 樹下植栽等/c 下刈り/d 雪起こし/e 倒木起こし/f 枝打ち/g 除伐/h 保育間伐/i 間伐/j 更新伐」(「森林環境保全整備事業実施要領の運用」令和5年3月29日付け4林整整第773号)
みたいな書き方もある。
20231024
今日は午後は箕輪町、夜は南箕輪村の会議であった。司会業だ。きらきらしたジャケット着て、蝶ネクタイとかせねば。
20231024
学部内の生協食堂のレジには、かつてサラダバーをやっていたころの電子はかりと、はかりを置くための台が残っていて、これがためにレジ側からは客の盆の上に何の皿が載っているのかが見えづらい構造になっていた。皿が見えるように、のぞき込む動作がしばしば見られた。
わたしは生協運営委員というのをやっているので、委員会のときに「当面サラダバーをやるつもりがないのなら、はかりを外してレジから見やすくすれば負担が減るのでは」と意見した。
今日、台は外され、レジ前のレーンが本来の長さを取り戻した。意見すれば改善されるものだ。
ただ、レジを打っている人が「あの台のせいで見にくいんだよね」と訴えていたのなら、とうに外されていたはずである。実はレジ側にとっては、台があろうがなかろうが問題なく、小銭を取り出して現金払いする私のような客のほうにこそストレスを感じているのかもしれない。だとすると私の「改善」意見は余計なお節介である。