森林を統べる人のことを「森林カン」とよぶ。かつての王の呼称にならったもので、「官」は当て字である。「監」「汗」とも。
20230630
縄文ZINE編『土偶を読むを読む』(文学通信、2023)。「“わかりやすく大胆で一般の人の心をとらえるが、正しくない説”が出てきたときに、学問はどのように対応するか」というのは、考古学に限らない課題だ。
20230629
読んだ本
王谷晶『君の六月は凍る』(朝日新聞出版、2023)。「ベイビー、イッツ・お東京さま」は今より少し前の話だと思うので、主人公が今どう暮らしているのかを思わざるをえなかった。
小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ (3)』(早川書房、2023)。正直、どう収束させていくのかがわからない。宇宙の果てまでずっと飛んでてほしい気もあるし、一方で故郷の因習をぶっこわしに帰ってほしくもある。
原俊彦『サピエンス減少』(岩波書店、2023)。ヒトは21世紀後半には減少し始め、たぶん二度と増えない。その原因は資源的制約のためではない。そうだとするなら、宇宙に人類文明が満ち満ちて、というSFではなくて、宇宙に行きはするが薄く分布するようなのが「もっともらしい」ということになる。
20230628
自分のしゃべっているところをビデオカメラで撮った(用事で、獲らざるを得なかった)のを確認のために見ると、どうにも変な感じがする。写真ならそこに写っているのが自分だという感じはあるのだけど、動いてしゃべっていると「これはいったい誰だ」という気持ちが高まる。自分のセルフイメージと乖離した姿を見せられるからかもしれない。むかし、人々がドッペルゲンガーを恐れたのは、こういう心理だろうか。
20230328
いつになったらzoomは「画面共有できていますでしょうか音声聞こえておりますでしょうか」と言うのを不要にするために、画面・音声が他人に届いているかどうかを確認できるようにするのかと待っているのだが、もしかしてこれは日本のローカルなルールなのかしら。
林業経済学会の春季大会に参加していて、恐慌としての理解が必要なのではと感じた。個々の突発的な事件が産業の変化の引き金を引くのだけど、その背景には構造の変化がある。中小規模の製材工場の廃業分の生産量(その利潤)を、大規模工場が吸収していた(それを政策的に後押しした)2000年代後半~2010年代と、廃業分の枠をおそらく使い切って、需要の上限に達したのにも関わらず資本の運動として規模拡大していかねばならないこれからとでは、問題のあらわれかたが異なるのではないだろうか。
20230321
ネブラスカの飴、ねぶらすか(舐めさせるわけがない)
20230319
南箕輪のイヤリング、みな耳の輪。
20230311
自然の巨大ないとなみには、ときとして人間のちからは及ばないが、そのことを常に念頭において社会を形成すれば、自然現象を災害につなげずにすむ。これを我々は早くも忘れかけているような気がする。
20230311
岐阜駅の前には、歴史上の英雄の金ピカの像があって、きっと東欧の地方都市はこんな感じなのではないかと思う。
20230220
黒い。真っ黒である。
南箕輪村の大芝の湯の食堂の新メニュー「炭焼きそば」は、アカマツの炭が練り込まれている(食堂に入るだけなら入浴料はいらない)。じゃりじゃりするかと思っていたが、そんなことはなかった。
売店で打っている「魔女のひめごと」も、同じくアカマツの炭を使っており、これがカプセルに入っている。キヨーレオピンみたい※だが、こちらは無味無臭である。なんでこんな名前にしたのかは謎(「魔女の秘薬」だと薬事法にひっかかるからか)。さっき飲んだが、まだ魔法は使えないっぽい。
林産物!
※ カプセルに入っている黒い薬というと、キヨーレオピンなのである。子どものころ体が弱かったから飲まされた。みーんな知ってる飲んでるキヨーレオピン・レオピンファイブ。