20231221

 用事で新潟に行っていたのだけど、安全運転の標語看板に「良寛さんが托鉢しているから安全運転しよう」みたいなのがあった。日本以外の土地でも、たとえば「アッシジのフランチェスコが托鉢してるから安全運転を」みたいな看板はあるんだろうか。

 新潟で出家していたはずだが、「上杉謙信が歩いているから安全運転しよう」という標語は見かけなかった。托鉢してなかったからか。

 (新潟の交通標語は、どういうわけかおしなべて長い。あれが読み通せるくらいのスピードで走らねばならない。)

20231218

 映画「屋根裏のラジャー」、いい映画ですよ。おすすめ。「リトル・ニモ」の苦難のエピソードを知っている人なら、ニヤリとするはず。「モンスターズ・インク」「インサイド・ヘッド」の日本側からの応答という位置づけもできましょう。

 本作は当初予定よりも1年遅れて公開されたらしいので偶然なのだろうけど、「イマジネーションのちからを失うことなく、しかしそれに溺れることなく、現実を生きていくこと」という点が、映画「君たちはどう生きるか」と通底していると思う。

20231216

 夢の島にある、都立 第五福竜丸展示館に初めて行った。核兵器廃絶運動の史料としての価値はもちろんだが、当時の様式の木造船という産業遺産としても価値がある(「西洋型肋骨構造による現存する唯一の木造鰹鮪漁船」として「ふね遺産」に指定されている)。

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 外板は厚さ6cmのマツ材だという。隙間にはヒノキの樹皮を押し込んであり、それが水に濡れて膨張するのでもって浸水を防いでいる。船底の竜骨はさすがに太い。外航船としてはたぶん小さいほうなのだろうが、ふだん船を見ない者としては、これだけの大きさ(140t)の木造船を見ると実に大きく感じる。

 大きな木造建築物は数あれど、木製品としてこれだけのものを見られる場所はそうあるまい。林業関係者は一見の価値ありである。

20231214

 『マルクス・ガブリエル 日本社会への問い 欲望の時代を哲学するIII』(NHK出版)を読んだが、NHKはガブリエルから言葉を引き出そうとしすぎでは。日本の文化や社会・経済の研究者ではないのだから、あんまりそこに突っ込んでもしょうがないということを訊いている。それよりも、「倫理資本主義」を具体的にどう実現させるのかを聞いたほうがいい。日本は1990年代を再生産しすぎで21世紀に入れてない、というあたりは、そうですなと思うが。

 たとえば135ページで、ガブリエルが「天皇陛下」という言葉を使っていることになっている。ほんとに「His Imperial Majesty / Seine Majestät der Kaiser (?)」みたいに言ったのだろうか。単に「Emperor」とか「Kaiser」と言っただけでは。本当に彼が語った内容(を翻訳したもの)なのか、それとも彼の名でもって丸山俊一(編者)らが自分の語りたいことを書いているのかが疑わしく感じられるのである。

20231212

 映画「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)、上官(藤田進)が精神論しか言ってないのが興味深い。訓練での相撲でも「技術で勝っても精神がなければだめ」的なことを言ってる。プロパガンダ映画だから、それは肯定的なことと捉えられていたのだろう。

 ストーリーとしては主人公の少年に最後まで焦点をあてたほうが整合的だと思うのだが、不思議とそうはなっていない。艦長が、作戦が成功したのをラジオで聞いて「おめでとう」と言うと、いきなり終わって軍艦マーチが鳴る。そのへんはどうでもよかったんかな。

 映画「加藤隼戦闘隊」(1944年)になると、特撮は進歩するが映画としては面白くなくなる。演出も、逆に古くさい感じがする。余裕がなくなってきたからだろうか。

20231211

 「八ツ頭」も「こじ」も日本語なのだろうが、「天ぷら」というポルトガル語以外、なにもわからない。

 隣に置いてあったプレーンなものと比べると、「こじ」はおそらく「海苔」とかそういう意味なのだと思うが、「八ツ頭」とはなんだ。

 脚が10本はイカ、8本ならタコか馬であるように、頭が8つならヘビだろう、と思って食べてみると、サトイモのような味だった。なるほどヘビとは芋の味がするのであったか。

20231204

 45歳になった。

 先日、必要があって1990年代に人々が書いた文章を読んでいたのだけど、そのなかで驚いたことが2つあった。一つは、当時の定年退職者は戦争体験世代だったことだ。引き算をすれば当然なのだけど、ちょっと意外な感じがした。もう一つは、当時の45歳は残りの就業年数のあいだに自分のなせることとか、老後の生活を考え始める歳だったらしいことである。なるほど、そういうものか(そう思った人だけが筆をとったのかもしれないが)。

 それで多少この先のことを考えるようになった。

 私が属する人口集団である未婚男性は寿命が短く、中央値は67歳であるといわれている。また男性の 寿命-健康寿命 は9年である。そうすると、日常生活に健康上の制限がない状態はあと10年程度だと考えて生活したほうがよさそうだ(もちろん、それより短い可能性もある)。今後の10年間を一つの目安にしたい。

 また、なんで我が人口集団の寿命が短いかというと、おそらく自己の健康状態を維持管理できない状態にあるからだろう。経済的な原因もあるだろうが、男性が健康維持を他者(多くは女性)に依存してきたというジェンダー的要素も大きそうだ。私とて長生きするほうがよいので、これまでのような内臓の処理能力まかせではなくて、自分の意志でもって健康状態を維持管理できるようにしていく必要がある。

 まずは食堂で揚げ物を食べる頻度を減らして、γ-GTPを下げねば。誕生日のささやかな決意である。

20231201

サイバートラックではなくて、サンバートラックをEV化したら拍手喝采だと思うのだ。

20231128

 目を洗われることがあった。

 伊那西小学校には、敷地と連続した学校林がある。「林間」とよばれ、面積はそれほど大きくないものの、生徒が毎日入る空間だ。林床にランニングコースがあり、生徒も草刈りをして維持している。林木の根本に、生徒の名前を書いたプレートが立てられている。これは「わたしの木」といって、生徒各人が自分の気に入った木を相棒とする風習である。昨日、県の森林税(森づくり県民税)の検討委員会で訪問したときには、生徒が落枝を採取していた。視察のための「やらせ」ではなくて、明日焼き芋をするから集めているという。これほどの利用をされる林分はそうあるまい。第一級の里山だ。

 写真を見られたい。広葉樹が萌芽して株立ちしている。これをどのように管理するか。

 一般的には、一つ二つを残して、あとは切るだろう。ところが、ここではあえてそうしていない。

 生徒が、ランニングするときの日よけ(下の写真のようなトンネル)がほしいと主張した結果である。

 萌芽整理(芽かき)をするのは、薪炭やキノコ原木を得るためだ。が、この場所の生徒の利用目的は、それではない。生徒の背丈にあわせた茂みであることが重要なのである。

 森林管理は、目的があって、施業(作業)がある。ところが私は「広葉樹なら整理をするのがのぞましい」と、なんとなく考えていた。目的の欠如だ。森林が資本蓄積・商品生産=木材生産の場に単純化するのが近代化であり、それを批判するのが私の研究的立場なのだが、自分自身の視角がかなり限定的であったわけだ。

 それを小学生から教わった。