20240125

 国有林野事業が特別会計制度から一般会計化されたときに、国有林の「機能類型区分」から木材生産(「資源の循環利用林」)がなくなった(2012年)。一般会計で運用する以上、国有林はすべて公益林でなければならず、木材を生産して収入を得ることを前面に出しにくくなったためである。一方で、当初から国有林の累積債務を返済するためには生産量を増やす計画になっていた。これは矛盾してくるだろう、というのが当時の私の見立てであった(『林研』236号、2013年)。

 2023年12月に変更された「国有林野管理経営基本計画」では、これに関して面白い変化がある。

 従来は、「木材等生産機能については、これらの区分に応じた適切な施業の結果として、計画的に発揮する」(『森林・林業白書』2023年)と説明されてきた。これが、

「機能類型区分の管理経営の考え方を踏まえ、水源涵養タイプに区分された人工林のうち自然条件や社会的条件から持続的な林業生産活動に適したものを特に効率的な施業を推進する森林として設定・公表し、当該森林を活用して主伐・再造林等の主に林業に関する取組を民有林関係者に分かりやすい形で効果的に進める」

となっている。

 今回の計画においても、水源涵養タイプ以外の区分からも木材は生産されてくるはずだが、とくに水源涵養タイプでは「効率的な施業を推進する森林」が指定されるわけだ。なんでかというと、

「効率的な施業を推進する森林の区域というものを設定いたしまして、こういった中で有利な、自然的条件、社会的条件が有利な場所で、少しでも価格が、山元の収益性が高まるような施業というものをやっていく」(業務課長。林政審議会、2023年10月17日)

ためだという。

 「効率的」とは具体的になにをする(他の木材生産と作業上なにが異なる)のかは

「本庁で決めるのではなくて、各森林管理局・署の方で、その地域で使われている作業システムに適したものを考えて区域を特定してもらう」(国有林野部長。同)

というので、まだよく分からないが、民有林の

「市町村の方で、似たような名前なんですけれども、「特に効率的な施業が可能な森林」」(国有林野部長。同)

に相当するとされる。民有林では、市町村森林整備計画の木材生産機能維持増進森林の中に、さらに「特に効率的な森林施業が可能な森林」を設け、皆伐後の植栽を必須とすることになった(2021年)。この国有林版という位置づけなので、明確に主伐・再造林をする(天然更新はしない)場所という意味だろう。

 面積は、

「対象は水源涵養タイプの人工林なんですけれども、全部で大体170万ヘクタールくらいですが、今の検討状況でございますけれども、おおむね3分の1ぐらいがこのエリアの規模感」(経営企画課長。同)

という。水源涵養タイプ人工林の育成単層林174万haを対象とすると、約57万haだ。

 759万haの国有林のうち、木材生産をして経済的にペイするのはこのくらいということだろう。国有林は山のてっぺんが含まれるし天然林も多い(7割)し平均蓄積も低いので、人工林224万haの4分の1と考えれば、まあそんなところかもしれない。

 国有林の皆伐面積は約5,900haなので(2021年度。平均260m3/haだからなかなか厳しい)、57万haは同様のペースなら100年、倍に増産(300万m3/年)したら50年である。「新しい林業」で伐期30年にすると500万m3/年。このほか間伐でも木材は生産されるが(現状ではそちらのほうが生産量は多い)、国有林が(計算上)赤字をつくらずに継続できる木材生産規模は500万m3/年くらいが上限なのだと思われる。

 ところでもう一つ、今回の変更で、旧計画にあった

「特に一定の施設整備を行うべき地域については、需要動向等も踏まえつつ、広く公衆の保健利用に供するための計画を策定し、国土の保全、自然環境の保全等の公益的機能との調和を図りながら、民間の能力を活かして休養施設、スポーツ又はレクリエーション施設、教養文化施設等の整備を行うこととする」

という記述は、まるごと削除されていることも興味をひく。

 「「レクリエーションの森」の管理経営に当たっては、民間活力を活かし」という記述は残っているので、民活路線をやめたのではなさそうだが、「広く公衆の保健利用に供するための計画」のもとになっている森林保健機能増進特別措置法が廃止されたわけでもないのに、この部分を削除している理由はなんだろうか。林政審での説明も見当たらない。単純にそういう時代でなくなったということかもしれないが。

20240125

 今日、ニシザワ(地域のスーパーマーケット)の店内でニヤニヤしてたのは、甘酒コーナーの「飲む点滴」というPOPを見かけて、

「甘酒のことを『飲む点滴』とは、なかなか面白いこと言うね」

「そうね」

「それで、ちょっとこれ見てよ」

「なんやの。ほう、袋の中に水みたいなのが入ってますわね」

「甘酒が『飲む点滴』やったら、取り出だしたりますこれは」

「これは?」

「打つ点滴」

「そのまんまやないか」

「飲む点滴に対して、こっちは打つ点滴や、うまいこと言いますやろ」

「点滴ちゅうもんはもともと打つもんや」

「そら君の言い分もわかるで。そやな、たしかにそうですわね」

「そうやろ」

「でも考えてみてくださいよ」

「なにを」

「点滴は打つものいうても、君……甘酒 打ったら、えらいことやで。米粒が血管に詰まる」

「誰が甘酒 打つんや、甘酒は飲むもんです」

「だから甘酒のかわりにここに打つ点滴が」

「なるほど……?」

というやりとりを思いついていたからです。

 自分で自分を笑わすのに長けているのである。

20240121

 喫茶店で面白い会話に出会った。

 その一団は、最近の日本語表現の問題点を話していて、「させていただく」表現に議論が及んだ。私も、言語とは移り変わっていくものだと承知しながらも、旧世紀の人間として、この表現を苦々しく聞く側である。

 喫茶する人々によって、「させていただく」のよくないところは、次のように分析されていた。

――これは使役の「させる」を用いているので「やらされている」という含意がある。たとえば会議で『議長をつとめさせていただきます、だれだれです』と言っている場合は、「本来はやりたくないが、議長に任命されたので仕方なく努めます」という意味である。やりたくないのなら、やらなければいい。いやいやながらやるとあえて言う点がよくない。

 これは面白い。なぜかというと、私の解釈とまったく逆だからだ。「させていただく」表現のいやらしさを私は次のように考える。

――「させていただく」は以前から存在した。かつてから許容されていた使用例を挙げれば、ドラマで妻が離縁を切り出すときの『実家に帰ら(さ)せていただきます』である(さ入れ表現)。これは、相手(夫)に実家に帰れと言われて帰されるのではなくて、相手の意思を問わずに(相手の意に反して)自主的に帰ることを主張している。『議長をつとめさせていただく』と言えば、「あなたがたは私が議長に就くべきではないとお思いでしょうが、あえて私が議長を務める」という意味である。つまり、いちいち「私は不適格かもしれないが……」と過度にへりくだるのがいやらしいのである。

 喫茶団は、話者の「やろう」という意思のなさ(受動的にやらされていること)を問題視する。私は、話者には「やろう」という意思があるのにも関わらず、過剰にへりくだることを問題視する。解釈が逆なのに、「させていただく」が気に入らないのはどちらも同じなのだ。要するに、どっちも歳をとったから、気に入らないから理由を探しているのだ。

 日本語には、長ければ長いほど、表現が過剰であれば過剰であるほど丁寧である、という習慣がある(他の言語でも同じかもしれない)。これは今に始まったことではなく、昔からそうなのだ。丁寧=冗長表現は、すぐに陳腐化するので、次々と珍奇な表現が出てくる。その古い冗長表現を、われわれは「丁寧だ」「奥ゆかしい」「美しい」「心配りが行き届いている」と感じ、新しいほうを「言葉の乱れだ」と感じるだけのことではないか。

20240114

 今日の『信濃毎日新聞』にマルクス・ガブリエルの論説が載ってたけど、それは違うんじゃないかなガブリエル。パレスチナの人々へのイスラエルの攻撃を批判することは、反ユダヤ主義とは別物である(攻撃への批判は、反ユダヤ主義に反対することと両立しうる)。

20240111

 消防団で、「最近みなで自転車に乗らないものだから、このとおり太腿に脂がついてしまった」と言ったら、「髀肉の嘆だ」という声があった。そろそろ天下の3分の1を手に入れねば。

20240110

 『信濃毎日新聞』(1月10日付)に、千曲川の河川敷で「違法耕作」をしていたのは、満蒙開拓団の残留邦人やその家族らであったという記事が載っている(特集「鍬を握る 満蒙開拓からの問い」)。

 管理といっても草を刈り続けるだけの河川敷ならば、そこで耕作するなら樹林化を抑制できるだけ手間もかからず益というものである(小屋を建てるのは困るが)。利用したい人は利用できるように制度をつくればいいのではないかと思う。そうしたからといって河川敷が一帯 耕作されつくすというほど、みな農業に目覚めてもいまい。面積的にはたかがしれているはずだ。

 公園で子どもが騒ぐのもしかり、社会的弱者が利用できてこその公共の土地ではないか。

20240105

 天竜川は、「天の中川(あまのなかがわ)」「天中川(てんちゅうがわ)」から音が変化して、竜という漢字を当てはめたらしい。ではなんで「天の中川」と呼ばれたのかというと、あんまりしっくりくる説明がない。「天の川と同じ方向に流れているから」というのだと、南北に流れる川はみんなそう呼ばれていてもよさそうなものだ。

20240104

 伊那市駅のトイレが改築される。次は地域産材による木造で、男性用・女性用・多目的トイレの3室構造になるそうだ。それは結構なことなのだけど、報道によれば

「おむつ替えなどのための「ベビーシート」も女性用と多目的トイレに設ける」(「長野日報」上伊那版、2023年12月31日付)。

 なんで男性用にはベビーシートを設けないのだろうか。

 長野県の人口が200万人以下になるということで、さかんに「若い女性を県内に引き留めねば(呼ばねば)」と言われているわけだけど(これ自体、人口維持の手段として人をみるようで妙な感じだ)、それはこうした公共空間設計で達成されるものだろうか。女性が暮らしやすい社会は、「男性によるおむつ替えを例外的なものにした状態のまま、女性によるおむつ替えをスムーズにする」ことではつくれないはずだ。

 設計事務所、市役所・市長、市議会、新聞社の、誰も妙だとは思わなかったのかな。未婚で、子育ての非当事者の私でも「ん?」と思うところなのだけれども。

 木で作れば、自動的に人に優しくなるわけではない。われわれ森林・林業研究者は、コンクリートと鉄が国産材に置き換わる(国産材需要が量的に増える)のを何でもありがたがる段階から、そろそろ抜け出るべきだ。どんな、誰のための木造・木質建築物ができるかを問わねばならない。それは林業経済学のつとめだと思う。

20240104

 惣菜コーナーに「(CK)じんだ」というパックが売られていた。この茹でた枝豆を砕いたようなものはなんだろう。この粉を正月に食べる風習が上伊那にはあるのか……?

――食べてみてわかった。これ餅の外側だ!