花火が鳴っていると、こちらが夏らしいことをまだしていないのに、季節を一方的に秋方向へ進めようとしている気がして腹立たしい。おのれ花火。
必要があって絵巻を参照しているのだけど、絵巻の題材というのはどう選択されているのだろうか。
「源氏物語絵巻」とかは、まさに絵巻にすべきもの、という感じがするし、「地獄草紙」も仏教をおしえるものとしてわかる。
しかし「伴大納言絵詞」はどうだ。放火事件である。「紫式部日記絵巻」は、作家のエピソード集だ。
紙や画材が貴重ななか、しかも絵巻を目にすることができる人も限られていたなかで、「ちょっと絵にしてみた」という感じではなかったはずだ。いまの感覚でいえば、コミカライズというより、「あの歴史的放火事件の真相を描いた問題作! 応天門を総天然色で完全再現! この夏、あなたは真実を目撃する」とうたう映画みたいなものなんだろうか。