20221119

 Twitterが役に立ったことがあるとすれば、一つは普段は読まないジャンルの作家を知ることができたということと、もう一つはフェミニズムなど(私にとって)よく知らなかったことを学ぶきっかけになったということだろう。

 従来のメディアが、社会的に発言力のある人=男性の声を伝えてきたのだとしたら、私がうけとる情報はずいぶん偏ったものであった。その点では大いに参考になった。でも、それはあくまでも学びのきっかけであって、学ぶことそのものは書籍などに依っている。他者が懇切丁寧に教えてくれるということはない。知る際には私から知るしかない。

 そのほかの点でTwitterがそれほど役に立ったとは思えない。SNSを使い始めてからもう10年以上たつけど、これは私にとっての「社会」ではなかったし、「ネットワーク」の代わりになったわけでもなかった。自分が旧世紀の人類であることを思い知る。

 Twitterは、もともと役に立たせるためのツールではなくて、役に立たせようと人々が思ったあたりから間違いが生じたのかもしれない。作家の生活の様子がうかがえるようになったが、それが作品の楽しみを増やしたかというと疑問である(作家個人のファンになるということはあるにしても)。

 そこで昔の方法にいったん戻ってみることにした。SNSは、自分の言葉や写真を「いいね」されることを報酬として条件付けてしまう。しかし、他者にあまり理解されないことも、自分の表現の一部である。ウェブページの設置が普及しだしたころ、ページの利用者はまず自分自身であるということがいわれた。その出発点に立ち戻ってみたい。