生物多様性の保全が大切だ、ということは、多くの人が理解している。生物多様性の保全が「なぜ」必要なのか、ということは、前に紹介した『
〈正義〉の生物学』などで知ることができるだろう。
でも、意外に抜け落ちがちなのは、「そもそも生物多様性とは何なんだ」ということだ。
そりゃあ生物の種類がたくさんいることでしょう、と思うかもしれないが、それだけではない。種類が多くても、たとえばそれぞれの種の個体数が極端に少なかったらどうだろうか。あるいは、信州でみられる種の顔ぶれ(構成)が、もし世界中どこでも同じだとしたら。5種類の鳥がいる、といっても、その5種類がそれぞれ別のものを食べている鳥なのか、それとも木の実を食べる鳥ばかりなのかによって、生物多様性の印象は違ってくる。
何に注目するか(何を指標とするか)によって、「多様性」の内容が異なってくるのである。ある地域の種数だけに着目すると、「生物多様性は減っていない」という結果だって得られる。でも、種数は同じだがその構成が変わっているとしたら、多様性は減っていると考えられるのだ。
少し知っている人なら、生物多様性にはα多様性・β多様性・γ多様性がある、というだろう。でも、それだって定義がばっちり決まっているわけではない。β多様性の計算方法だけで約30種類もあるらしい(多様!)。まとめてくれよ……と思うが、それだけ研究者たちが生物多様性について深く考えているということだ。
「なぜ生物が多様になるのか」ということも、言われてみると考えたことがない。
熱帯林には、貴重な動植物が多くて、生物多様性が高い。だから保全する必要がある。それは知っている。でも、なんで熱帯の生物種は多いのだろう。太陽光や雨など、生物が生存するのに必要な資源が豊富だから、だろうか。でもそれだと、生物の個体数が多い理由にはなっても、多様性が高い理由としては不十分そうだ。
最近は、「暑いと代謝が早くなるから」という理論が支持を集めているらしい。でもこれも、24種類ほどもあるアイデアの一つである(多様!)。おそらく生物多様性は、なにか一つの原理で生じているのではなくて、いくつかの理由が関係しているのだ。
ある環境の中に、同じような生活スタイルの生物種が複数いると、エサや光・水分をめぐる競争が生じてしまう。生物は、それを微妙にずらして生きのびている。「ニッチ」という言葉は、ビジネスでもよく使われる用語だ。だが、「別にニッチという概念を使わなくても、多様性のほとんどは説明できるのでは」という議論もあるらしい(統合中立理論)。面白い。「多様性」のような、あるのが当然と思われるものほど、なぜ生じるのかを説明するのは難しいということがわかる。
生物多様性がなぜ生じ、どのような方法で評価するかについて議論が分かれているとしても、その結論が出るまで生物多様性の保全をしなくていい、ということではない。
IPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)の『
生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書』(政策決定者向け要約)を見ると、生物多様性をめぐる状況が深刻であること、2030年までに「経済、社会、政治、技術すべてにおける変革(transformative change)が求められる」こと、今ならそれが可能であることは、研究者の議論を通じて十分に確かであるとされている。
研究上での議論を知りつつ、確からしい方向にむかって行動することが、森林・環境共生学を学ぶ私たちには求められているのである。