森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
山小屋クライシス:国立公園の未来に向けて
吉田智彦
山と溪谷社〔ヤマケイ新書〕 2021年

これでいいのか登山道:現状と課題
登山道法研究会
山と溪谷社〔ヤマケイ新書〕 2021年
 信州の山々は、人々をひきつける。コロナ禍以前は、上高地に行くと国外からも多くの人が訪れているのが感じられた。経済的効果も大きいはずだ。上高地を含む中部山岳国立公園の訪問者数は、かのイエローストーン国立公園の倍以上なのだそうである(!)。信州だけでなく、世界遺産やジオパークなど、多様性に富む山岳環境は日本の観光の目玉の一つといえるだろう。
 一方で、訪問者が歩く登山道の整備は、山小屋など山岳関係者の善意に依っている部分があるという。登山道は人が通ればダメージを受けるが、通らなくても降雨などで崩れ、草に埋もれるので、絶えず維持作業が必要である。もちろん、国や県が直接管理しているところ、あるいは管理者を決めて整備しているところがある。しかし、誰が管理するのか(事業執行者)が決まっていない登山道も多く残されているというのだ。登山者の安全を確保する山小屋の公益的機能の維持についても、自助努力にまかされている部分がある。
 登山客が多く、経済的にまわる時期ならば、なんとかできたのかもしれない。しかし、コロナ禍で客数が減ったり、資材運搬のヘリコプターが故障で飛ばなくなったりすると、問題点が表面に現れてくる。このままでは早晩やっていけなくなる。その危機を一般の人々に知ってもらおうというのが両書である。
 「登山道や山小屋は、登山をする人が費用を負担して整備すればよい」と考えることもできる。しかしそれだと、登山や森林でのレクレーションは、ものすごく裕福な人だけができるスポーツになってしまうだろう。そんな「森林・環境共生」社会でよいのだろうか。
 『山小屋クライシス』で指摘されているように、日本では自然に親しむというのは「娯楽の一種」でしかない。欧米のように、自然に親しむことは市民の権利であり、アプローチする方法を整えるのは公の義務であるという認識が醸成されないままに、山岳が観光開発されていった。だから何らかの原因で利用が減少すると、問題点が噴出してくる。
 だが解決方法がまったくないわけではなさそうだ。世界遺産などに指定されると、そこはちゃんとやるのである。やればできるのである。だから、法律や制度を作っていく必要があるのではないか、ということを両書は議論している。
 登山をする人は必読だろう。『山小屋……』から読むことをお薦めする。
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© 2021 三木敦朗