森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
「木」から辿る人類史:ヒトの進化と繁栄の秘密に迫る
ローランド エノス
NHK出版、2021年
 木材には様々な性質がある。軽く、加工が容易で、しかし強度が高い。繊維方向と、それを横切る方向とでは力を受けたときのふるまいが異なり(鉄やプラスチックのようにどの方向にも均質でない)、燃え、腐る。
 これらの長所でもあり欠点でもある性質を、人類はどのように利用し、また影響を受けてきたのだろうか。「人類が木を利用してきた」ということを論じた本は他にもあるが(たとえばヨアヒム ラートカウ『木材と文明』築地書館、2013年)、この本のユニークさは、木材の力学的性質に着目して市民むけに論じているところだ。著者は生物力学の研究者である。
 人類の歴史は、旧「石」器時代などというように、土の中に残るもので表現されてきた。腐ってなくなる木は、過小評価されてきた。著者は、人類の文明はおろか、進化そのものが木なしにはありえなかったと主張する。樹上生活には、木の しなりや折れを予測することが必要である。その環境が脳を大きくしたのではないか。人類の体毛が少ないのは、木で簡単な小屋を作ったことに関係しているのではないか。
 近年でもこの関係は続いている。紙は(西洋では)ぼろきれなどから少量生産されていたが、木のパルプから作れるようになって紙は庶民にも普及し、民主主義や情報化社会を支えられるようになったのである。
 道具を作るときも、人類は木の性質をよく理解して活用してきた。木だけ、あるは石と組み合わせた原始の道具もそうであるし、金属を利用するときもそうだ。木が燃焼して熱を出すということと、炭素のかたまり(還元剤)であるということを活用している。しかも、金属器の発明によって木が不要になったたのではなく、溝を掘るとか繊維を横方向に断つとかの、石器では不可能な加工が可能になって、木はますます使われるようになった。
 著者は後半で、人類の活動は、エネルギー源を森林に依存していたころは、産業や都市は分散的で大規模にならないものだったと指摘している。金属精錬や都市生活には薪が必要である。薪は長距離の輸送が難しく、供給量は周辺の森林の再生力に依存する。だからかつての製鉄業は各地に分散していたし、都市もある規模以上には大きくならなかった。
 よく知られるように、この限界は化石燃料の利用によってなくなっていった。便利なプラスチックの発明によって、とうとう木材利用そのものが縁遠いものになっている。
 しかし、これが長く続けられるものではないことも、私たちはよく知っている。ふたたび木を利用し、森林の再生力を意識した「静かな喜び」の文明になっていくべきではないかというのが、著者の言いたいところだろう。
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