森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
誰のための熱帯林保全か:現場から考えるこれからの「熱帯林ガバナンス」
笹岡正俊・藤原敬大編
新泉社
2021
 日本はかつて、東南アジアの熱帯林から大量の木材を輸入していた。いまでは丸太の輸入は しなくなったが、熱帯林材で作られたコンクリート型枠用合板(コンパネ)は多く輸入している。また、アカシアやユーカリが原料の製紙用パルプ、アブラヤシからとるパーム油や、それを絞ったあとのヤシ殻燃料(PKS)など、熱帯林を拓いたプランテーションからの生産物も輸入する。こうした農園は、泥炭地に水路を掘って、土地を乾かしてつくられる。泥炭は分解し、二酸化炭素を発生させるし、乾くと火もつきやすくなって火災が絶えない。こうした産業活動が、森林で暮らしていた人々をおびやかす。
 ではどうしたらいいのだろうか。持続可能な森林管理を義務づける各国の法律、国連での国際条約があればいいが、これは難しい(国際条約はつくれなかった)。そこで、1990年代以降、市場メカニズムを通じた民間の努力がおこなわれた。
 一つは、森林を破壊せず、森林に暮らす人々をおびやかしていないことを、証明する仕組みだ。森林認証(FSCやPEFC)たパーム油の認証制度(RSPO)がある。これは最近私たちの生活用品にも浸透していて、たとえばコピー用紙や紙パックとか、パーム油を原料とする食品や洗剤にはマークが入るようになった(ご確認ください)。また、これとも関連するが、森林開発をおこなうときには、住民が「自由意思による、事前の、十分な情報に基づく同意」をしていることが求められるようになった。同意していないところから生産された原材料は使いません、買いません、と多くの企業が表明している。
 我々消費者は、こうした商品を買えば安心だ。

 ……本当だろうか?
 たとえば、森林認証を経ているはずの合板なのに、生産地の住民や環境保護団体から異議が出る。本当に持続可能といえるのかどうかわからない製品が、東京オリンピック・パラリンピック関連施設に使用されたと批判されている。
 私たちは、購入を通じて、世界を持続可能なものにしたいのだろうか。それとも、「森林を破壊していない」という気分を買いたいのだろうか。
 『誰のための熱帯林保全か』は、私たちに「環境にやさしい(とされている)商品を買っているから、ひと安心」というところで満足していてはいけない、そこで立ち止まってはいけない、ということを教える本だ。著者たちは、東南アジアの森林の現場を調査している人たちである。
 かつて企業は、環境への配慮など気にしていなかった。それがいまや、どの企業も環境へ配慮しています、と謳わねばならないようになっている。これはすごい前進だ。ただし、環境にやさしい商品であると言うことと、本当にそうであることとは別だ。環境にやさしくないにも関わらず、強大な資本力による広告で、やさしいというイメージを粉飾することは可能である。
 開発企業と住民が対立すると、第三者機関が仲裁に入ることになっている。しかし、この「第三者」が中立性を保つことは難しさもあるようだ。場合によっては、企業のイメージ粉飾(グリーンウォッシュ)に使われてしまうこともある。
 住民の「合意」についても、簡単ではない。情報をもっている企業側が、住民にすべてを示した上で合意したのだろうか。そもそも合意は、誰としたのか。村長? その合意は、女性など住民の中でも弱い立場にある住民を代表しているといえるだろうか。
 「環境保全」を「真面目」に考えるところにも、注意すべき問題点はある。森林認証はうまい仕組みだが、様々な書類を整えたり環境モニタリングすることを要するから、小規模な農家が参加しにくい。森林認証によって、かえって大規模プランテーションが有利になってしまうかもしれない。東南アジアの森林には、野生動物の保護区もある。そこで農業や木材伐採をするのは違法だが、住民は生活のためにやむをえず「不法占拠」「違法伐採」をしているのかもしれない。なにが「違法」かは上(外)から決まる。そんな中で、森林で暮らす人々の住宅を強制撤去し、立ち退かせれば「環境保全」が実現するのだろうか。

 著者たちは、森林認証や住民との「合意」の仕組みがだめだと言っているわけではない。それがなかった時代よりは、確実に前進している。でも、仕組みをつくれば万事OKというわけではない、ということだ。消費者が熱帯林の住民(現場)の実情を知らなければ、我々が「こんなはずではなかった」と思うような結果をうむかもしれないのである。
 この背景には、資本主義経済のもとで我々は「商品」しか見ない(見えない)という根本的な問題があると思う。森林認証だって、いってみれば商品につけられた「お買い得」のラベルの一つである。私たち消費者は、その商品を誰かが作ったものだろうということは知っている。しかし、スーパーの陳列棚やネットショップの画像をいくら見ても、その生産現場で、具体的に誰がどのような状態におかれているかを知ることはできない。
 では、どうやって、人そのものを知ることができるのだろう。一つは、この本のような現地住民の調査研究の成果を知ることである。もちろん、すべての商品について知ることはできない。だが、森林・環境共生学を学ぶ私たちは、少なくとも森林からの生産物に関しては、それを知ることができるし、そうする必要がある立場にいるのではないだろうか。
 この本は、研究者が書いた本だが、一般の人々むけに書かれている。熱帯林に暮らす人々の状況は、研究者だけが知っているのではなくて、一般の人に知られるべきだという、著者たちの志があらわれているのだと思う。いちばん最初にこの本の内容を受けとるべきは、森林・環境共生学を学ぶ我々だろう。
 なお、私の知るかぎり、著者の一人は森林・環境共生学コースの先輩である。
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