森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
生物多様性を問いなおす:世界・自然・未来との共生とSDGs
高橋進
筑摩書房(ちくま新書)
2021
 生物多様性という言葉が一般に知られるようになったのは、1990年代に入ってからだ。1992年に、ブラジルのリオデジャネイロで「地球サミット」(国連環境開発会議)が開催され、気候変動枠組み条約とともに、生物多様性条約が調印されたのがきっかけであった(条約発効は1993年)。
 1992年という年は、コロンブスによるアメリカ大陸「発見」(1492年)からちょうど500年後だった。ジャガイモ、トウガラシ(ピーマン・シシトウ)、トウモロコシ、トマト、カボチャ、ココア、タバコ、ゴムなどの作物は、それ以前には「旧」世界には存在しなかった。スパゲッティにトマトは入っていなかったし、カレーやキムチは辛くなかった(そもそもその料理がなかったかもしれない)。生物資源の移動によって、文化が大きく変化したのである。
 でもこれは、アメリカ大陸側からみれば収奪の始まりでもあった。南北アメリカに限らず、大航海時代以後、ヨーロッパ諸国が様々な覇権をのばした目的の一つには、生物資源の獲得があった。コショウ、クジラ、コーヒー、パームヤシなどなど。先進国はそこから富を得たが、現地には必ずしも恩恵がもたらされたわけではない。プランテーションによる自然の改変・破壊や、モノカルチャー化、大量生産による作物価格の下落などが生じて不利益を被る場合もある。
 ようやく500年後に、それではだめだということが国際的な常識となった。だから、生物多様性という言葉は、たんに「自然を守りましょう」というだけの話ではないのだ。
 たとえば、生物多様性を保全するために、自然公園が設けられる。自然公園の始まりはアメリカ合衆国にある。ヨーロッパから移住した人々が、アメリカ人としてのアイデンティティを荒々しい大自然(ウィルダネス)にもとめ、それを観光資源にもしようとしたからであった。これが近代の自然保護の原点でもあるのだけど、自然公園を設けるときにそこに住んでいた先住民を追い出したという歴史ももっている。アフリカや東南アジアでも同様だ。
 そこに住んでいた人々が工夫しながら維持してきた自然を、勝手に「人類の財産」として取り上げてしまう。人々を存在しないものとして扱ったり、どうせこれらの人々は自然を適切に管理することができないだろう、と考えるのは、根底に先進国・多数側(マジョリティ)の差別意識があるからだ。
 もちろん、人々の努力によってこれは克服されつつあり、先住民に土地が返還されるようになってきた。オーストラリアで、ウルル(旧称 エアーズロック)が返還され、観光登山が禁止された話は聞いたことがあるだろう。「生物多様性の保全」は、旧来の意識的・無意識的な差別を前提としたものではなく、新しいものへと変わっていく時期なのだ。

 ――というようなことが言いたい本なのだと思うのだけど、実は本書、内容がちょっと もの足りない。
 同じ ちくま新書には、鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』(1996年)という、よく読まれた本がある。だから本書には「題名をわざわざ似せているのだから、25年分のアップデートをした新版という位置づけだろう」と期待せざるをえない。
 たとえば、日本国内でも、アイヌ民族の自然利用の権利を回復するという課題があるので、海外の事例にふれるなら、そのあとに言及すべきだった。でも、残念ながらそうなってないのである。もったいない。
 ただ、『自然保護を……』は、やや抽象的で初めての人には読みにくい。本書は、生物多様性という言葉があらわれたときに、それを翻訳した経験をもつ著者によって書かれているので、生物多様性が国際的にどう理解されているのか、ということについては事例を豊富にあげて、具体的にわかりやすく表現している。本書を読んでから、『自然保護を……』に読みすすむと、ぐっとわかりやすくなるだろう。
戻る
© 2021 三木敦朗