森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
花粉症と人類
小塩海平
岩波書店(岩波新書)
2021
 スギの属名は Cryptomeria(クリプトメリア)というが、これは「隠された」という意味だそうである。希ガスのクリプトン(なかなかみつからなかった=隠れた気体)と同じ語源だ。では何が隠されているのかというと、球果(松ぼっくり)である。鱗片に覆われている。
 しかしもう一つの意味で解説されることもある。スギが日本に隠されたもの、という解釈だ。スギ属にはスギしかない(一属一種)。そしてスギは、ほぼ日本にしか生えていない(固有種)。スギは日本に隠された宝、なのである。
 しかし日本に住んでいると、いったいどこが隠れているのかと思うだろう。花粉症のシーズンだとなおさらそうだ。

 本書は、「花粉症」がどうやって発見されたのかを書いた短い本である。
 花粉症は、おそらく太古からあったようだ。古代の文書にもそれらしいのが散見されるし、10世紀のペルシャの医学書にはバラによるアレルギー鼻炎が明確に記述されている。
 ところが、花粉が原因だとわかったのは意外と遅く、19世紀後半になってからだった。花粉症はコレラとかのような致命的な病気ではないから、研究が進まなかったのである。当時、イギリスの田園地域で牧草花粉症に罹る人がいた。しかし、夏に罹るから暑さが原因だろうという見解が主流で、「夏カタル」と呼ばれていた。
 暑くても牧草がなければ症状が出ない、夏以外でも牧草があればくしゃみが出る。これに気づいたのは、自分が花粉症になってしまった医者たちだ。原因物質を探るために、花粉を自分に注射してあやうく死にかけた医者もいる。
 おかしいのは、牧草花粉症が選ばれた人々がかかる「貴族病」だと考えられたことだ。いちばん牧草に関わっている農民ではなく、当時増えてきたオフィスワークをする人たちが罹ったからである。
 アメリカでも、開拓や都市化で裸地が増えるとともに、ブタクサ花粉症があらわれた(こちらは秋に出るから「秋カタル」)。すると、シーズンになるとブタクサのない場所へ逃れる「花粉症リゾート」がビジネスとして生じる。そんなことができるのは、もちろん裕福な人々だけで、ここでも花粉症が人々に選ばれた感覚をつくる。
 花粉症になって優越感にひたるというのは変な話だが、この感覚は今でもあると思う。スギ花粉症を「国民病」と言ったりするのがそれだ。日本国民でなくても、日本に住めばスギ花粉症になる可能性があるし、逆に日本人が長期に外国に住めば、その土地の花粉症になるのに、である。
 この本では、花粉症の発症のメカニズムや、自然と軽減することがある理由については深くふれない。花粉症とどのように付き合っていくべきかについても、体系的には述べない。ちょっと煮え切らない本である。
 ただ、次の点は重要だと思う。
 スギ花粉症は、よく「戦後にスギをたくさん植えたのが原因だ」と言われる。スギ花粉症が初めてあらわれたのは1960年代、一般的に知られるようになったのは80年代だ。たしかにこの時期にはスギを植えた。ただ、それ以前から日本には多くのスギがあった。植物側にしてみれば、人間が最近勝手に花粉症になったのだ。金になると思われて植えられ、鼻水が出るから伐られるというのは、いい迷惑である。私たちは、花粉症を通じて、自らの人間中心主義に気づくことができるだろう。
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© 2021 三木敦朗