森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
ヒマラヤの森はなぜ守られたのか:インド・ウッタラーカンド州における森林パンチャーヤトの資源管理
長濱和代
九州大学出版会、2022年
 森林がよく利用されている地域では、国が森林を一方的に管理するのではなくて、住民が意志決定できるほうがよい(そうしないと森林が保全されない)。名称は様々あるが、これを「参加型森林管理」という。この本の舞台となっているインドのヒマラヤ山麓地域では、この方法が世界で最も早い時期から存在してきた。制度化されたのが1931年というから、もう90年の歴史がある。
 「森林パンチャーヤト」(パンチャーヤトは「5人会議」くらいの意味)という、住民の中から選ばれた委員が管理方針を考える方法があって、たまに住民を集めて意見を聞いたり、決定した管理方針を伝えたりする。住民は、そのルールに従って森林を利用するので、森林がなくなるということはない。
 ――と、普通ならここまでで満足するところだが、著者はさらに踏み込む。
 森林を利用する(薪や飼い葉を採る)のは女性の仕事なのに、パンチャーヤト委員には女性が少ない(パンチャーヤト長になる女性はもっと少ない)。それで「参加」といえるのだろうか。また、参加できたとしても、委員になろうという気がない女性もいる。それはなぜか。ここには、女性が参加する利点がみえにくいとか、経済的に余裕がない、あるいはこれまで差別を受けてきたカーストに属していると委員になりにくいとかの事情があるという。
 制度が用意されていれば、権利が保障されているのだからよい、と考えてしまいがちだ。でも実際には、制度があっても使えない事情、あるいは魅力を感じにくい事情があるのだ。著者はそれに気づかせる。
 海外の事例については、欧米のものは「学ぶべき」と思うが、その他の国々のは自分には関係がないと(あるいは原始的な力のある「土着の知恵」として受容するとか)、われわれは傲慢にも考えがちだ。しかしそうではない。南アジアから東南アジアにかけての参加型森林管理の経験は、おそらく私たちより何十年も先をすすんでいる。インドの政府も、パンチャーヤトの女性委員率を半分にしようとしている(すでに2001年に)。日本の森林制度で、そんなものがあるだろうか?

(細かいことをいうと、わりと頻繁に開催されているパンチャーヤトの会議で決められる事項とは具体的になんなのかがわかる内容だと、もっとよかった)
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© 2022 三木敦朗