森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
旅する地球の生き物たち:ヒト・動植物の移動史で読み解く遺伝・経済・多様性
ソニア シャー
築地書館、2022年
 注意を要する本である。
 著者の指摘することのほとんどは正しいと思う。戦争や圧政、環境破壊などによって、住むところを移動せざるをえない人々がいる(おそらく今後、増えるだろう)。先進国(日本も)は そうした人々を国境で阻止・排除しているし、移住に成功した場合でも差別してしまっている。近代生物学は、発達の過程で人種差別と暗い結びつきをもってきた。リンネたちは差別にもとづいてヒトを「分類」しようとした(このエピソードは実におぞましい)。20世紀に入ってからも優生学などの誤りをおかしている。著者は、そうしたことは間違いであるという。これはまったくその通りだ。生態学の重要な概念も、こうした時代的背景とは無縁ではない。この部分は学ぶに値する。
 ヒト以外の生物も移動する。動物が移動し、生息域を変化させていることは、ごく近年のGPSの発達によって可視化できるようになった。小さな昆虫や植物なども移動する。移民・難民を阻止するために設けた壁(物理的な壁)が、哺乳動物の移動を妨げてしまうこともある。渡りをする生き物以外は「ひとところに留まっている存在である」というイメージを変えねばならないことも、確かだろう。
 ところが著者は、これらのことから、生態学が生物の人為的な移動を問題として扱ってきたことにも疑問を呈してしまう(242ページなど)。これは短絡的にすぎる。サツマイモが海流に乗って絶海の孤島に伝播してきたということ、ヒトがこれまで様々な動植物を伴って移動してきた生物であるということ、移動せざるをえない人々が保護されるべきであること、差別を受けてはならないこと――これらのことと、生物多様性の保全のために、生物の人為的な移動を現在 制限する必要がある(場合がある)こととは、なにも矛盾しない。両立する。
 問題は、生物学の用語が、差別に悪用されやすい点である。外来種は問題であり、場合によっては駆除する必要もあるだろう。間伐で私たちは、人間が利用しやすい樹木を選別する。しかしそれらが、人間の社会にたいして比喩(アナロジー)として使われることは、断じてあってはならない。これまでの歴史をみれば明らかなように、生物学・生態学は、差別の正当化に容易に利用されてしまう。生物学・生態学を学ぶ人々は、常にこのことを警戒しなければならないし、自覚的にたたかう必要がある。著者(と生物学者である訳者)は、これを指摘すべきだった。
 もちろん、差別の正当化への利用を許さないようにするためには、現在の差別がどのようにおこなわれ、どのように生態学的な言葉を悪用しているかを知っていく必要がある。そのために、本書は役に立つだろう。
 本を読むときには、批判的な読み方(批評)をしたい。それは「全否定」とは違う。この本のどこは有益で、どこはおかしいと思うのか。それを区別するということだ。そうすれば、多くの本から、私たちは学ぶことができる。
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© 2022 三木敦朗