森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
山火事と地球の進化
アンドルー C スコット
河出書房新社、2022年
 山火事が発生したとき、木は完全に燃え尽きてしまうのではなくて、炭が残る。そのあとに土壌浸食がおこり、炭とともに流れてて堆積する。運がよければ化石になるだろう。炭には、樹木の組織がよく残されており、花が形を保ったまま残ることもあるという。木炭化石はそのままだと脆くて扱いづらいが、走査電子顕微鏡などの登場によって細部を観察できるようになった。生の木は腐ってしまうから、火事によって かえって保存されるというのは意外なことだ。
 このことからもわかるように、山火事は樹木の進化の歴史とは切り離せないものだ。酸素濃度がある水準以上の大気なら、雷などで山火事は恒常的に生じる。それに耐えられるように樹皮を厚くした樹種もあれば、火事による攪乱に依存する樹種もある。
 だから著者は、山火事をすべて消火してしまうのは不自然であると主張する。消火活動によって森林が燃え残り、地上部のバイオマス量が多い状態になると、かえって一回の山火事が大きくなることがある。山火事は自然にもおこる。燃えやすい植生というものはある。そういうところに家を建てるほうが誤っていると考えることは、確かにできる。
 一方で著者は、どんな山火事でも燃えるがままでよいと言っているわけでは、もちろんない。たとえば、人間が導入した草が繁茂したせいで、これまで局所的なものですんでいた(動植物もそれに適応していた)山火事が、燃え広がるようになってしまった場合である。少なくしていかねばならない山火事と、自然のなりゆきを見守る山火事とがあるということなのだ。
 これは他の山地災害にもいえることだ。しかし問題はなかなか難しい。たとえば、洪水などが発生したあとの土地は、地価が安くなることがある。そこには低廉な土地しか手に入れられない人々が移り住んでくるかもしれない。それを、氾濫原だから住むほうが誤りである、と言えるのか。山火事だって、均等に人々を襲うわけではないはずだ。著者は化石学者だから、これには答えを示していない。うーん、と唸るのは、森林・環境共生学の私たちの役目だろう。
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© 2022 三木敦朗