森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
まっすぐだけが生き方じゃない:木に学ぶ60の知恵
アニー デービッドソン(絵)、リズ マーヴィン(文)
文響社、2022年
 樹木の形態や生態から人生のヒントを得る、という大人むけ絵本である。たとえばグイマツは冬をしのぐために落葉する。我々もつらい時期にはそれをやりすごしてみては? というふうにである。
 文を書いたのがどういう知識をもつ人なのかは、検索してもあまりよくわからない(同名のミステリー作家がいることはわかった)。原文には内容的な誤りもあったようで、日本語版では樹木生理生態学者が監修・加筆している。安心して読めそうだ。

 ところで、そもそも私たちは樹木や草などの自然から人生訓を学ぶべきなのだろうか。生物の形態や仕組みを真似る工学のバイオミミクリー(生物模倣)のように、生き方についてもヒントを得ることができるだろうか。
 たしかに、様々な生きざまを知ることは、心のなぐさめになる。自分がいかに狭い視野にとらわれていたのかに気づき、目を洗われ、すくわれることもあるだろう。自然は思考の新しい「型」を提供してくれる。
 しかし「自然がそうであるから、私もそう生きてよいのだ」という考えには、注意が必要だと思う。自然界にない生き方でも、私たちは自由にやってよいのだ。たとえば、光や水・気温などの条件が整えば植物はうまずたゆまず生産するだろうが、人間生活がそうである必要はない。休みたいときに休めるのが、目指すべきヒトの生き方である。
 また、植物は与えられた環境に適応することを通じて、様々な形態や生存戦略をもつように進化していったが、私たちの「環境」は与えられたものではない。「まっすぐだけが生き方」だというような、画一的な生き方を強制される「環境」は、人間自身がつくりだしているものである。
 樹木に学んで「まっすぐだけが生き方じゃない」と気づいても、人間社会の「環境」は引き続き、私たちに画一的な生き方を押しつけてくるだろう。グイマツに学んで冬をやりすごすように「適応」したとしても、あるいは砂漠のような場所にニッチを得たとしても、生きづらさの原因はどこにでも迫ってくる。経済的に状況が厳しくなれば、これまでと異なる餌を食べたり、人生の目的を柔軟に変更したりすることはできるが、それが人間らしい、自分らしい生き方なのだろうか。そのとき私たちは、自分の体や思考パターンではなく、人間社会の「環境」のほうを変えなければならないと思う。この「環境」は自然条件とは異なり、私たちが変更できる性質のものだし、私たちにはそれをするだけの能力がある。
 樹木から何かを学べるとしたら、樹木は多様であること、それが画一的であったなら生き残ってはいないことだろう。木々の生き方を、なにかを耐えしのぶ方向にではなくて、私たちが多様に生きられるような環境をつくる力になるように学びたい。
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© 2022 三木敦朗