森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
里山奇談:よみがえる土地の記憶
同:めぐりゆく物語
同:あわいの歳時記
cocoほか
角川書店〔角川文庫〕 2019・2020・2021年

猪・鹿・狸
早川孝太郎
角川書店〔角川ソフィア文庫〕 2017年(初版1926年)
 世界はどこでも、人間だけの世界ではないのだが、「やま」では人間の度合いはさらに薄くなっていく。人々の住む「さと」とは違う、異界の境界として理解されてきた。動物に化かされたり、不思議な(ときに怖/畏ろしい)体験をしたりする場所である。
 現代では、動物に化かされたりしない。『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節、講談社〔講談社現代新書〕、2007)では、1965年前後に、人々と自然との関わり方が変わり、また「私」というものの考え方も変わったことに注目している。
 しかし、「やま」で不思議な体験をする人が まったくいなくなったわけではないようだ。『里山奇談』は、昆虫の観察・採取をする人たち(「虫屋」)が体験した話を収拾した、という小咄集である。本当に収拾したのか、作者たちの創作なのかはわからないが……。過去の体験もあれば、現在のものもある。
 本の中には何度か、虫屋などの「生き物屋」は、自然の「解像度」がちがうという言葉が出てくる。そうでない人には「虫」「雑草」でしかないものを、個々に分けて見られる。そうした観察眼をもっていることが、不思議な体験の条件なのかもしれない。そもそも里山に足繁く通わないと、体験もないわけである。
 私たちは科学を学んでいるので、奇談を、超常的な現象として丸呑みするわけにはいかない。けれども、人間が特別な生物ではない(生物種の一つである)ことを識っている人が里山に入れば、他の生物と対話し、自然からの干渉を感じ、様々な経験を得るだろうことはうなづける。
 『里山奇談』の中には、愛知県の三河地方で蒐集されたと思われる話がいくつかある。同じ地域(現 新城市)で、約100年前に記録された話が『猪・鹿・狸』だ。
 ここでは奇談は一部分で、多くは野生動物との具体的な関係を書いている。イノシシやシカは、現在でも害獣とされるが、当時は生活の多くを農業に依っていたから、今以上に緊張感があったことがわかる。しかしその中に、対峙する動物への理解がある。
 ところで、『猪・鹿・狸』が記された20世紀初頭、すでに獣たちの姿は遠くなっていた。だから著者は故郷の記憶をのこしたのである。ひるがえって1世紀後の現代では、もはや珍しくなくなっている。キツネは毎晩、私の家の近くまでやってきて、ゥワ゛ゥーと濁った大声をあげる(だれだキツネがコンコン鳴くといったのは)。これから私たちは、再び動物に化かされたりするのだろうか。それともただの「迷惑な獣」として、物語らずにすごしていくのだろうか。
戻る
© 2022 三木敦朗