森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
(映画)グレタ ひとりぼっちの挑戦
ネイサン グロスマン(監督)
スウェーデン 2020年作品
 森林・環境共生学コースで、グレタ トゥーンベリのことを知らない人はいないだろう。でも(当然のことながら)どういう日常をおくる人なのかを知る人もいないだろう。Twitterでアメリカ大統領にひどい言葉を投げつけられて、それを逆にやりこめる高校生はそうはいないと思うが、それだって日常の姿の全部ではないのだ。
 この映画は、彼女がスウェーデン国会前で気候危機を選挙の争点にせよと座り込みを始めたばかりの時期(2018年)から、国連気候行動サミット(2019年)までを間近で撮り続けたドキュメンタリー映画である。
 言行一致、というのは多くの人が理想とするところだ。しかし気候危機については、そうしている大人は少ない。トゥーンベリは、このズレはおかしいという、当たり前のことを指摘する人である。気候変動は重要な問題だ、早急な対策の必要がある――ではなぜいま社会は急いで取り組んでいないのか? 彼女の前では大人たちの白々しさが際立つ。前に進まない会議の集合写真で、大人たちがにこやかにサムズアップをするなか、一人だけ手を挙げないシーンが印象的だ。
 気候危機への対処を訴えてまわるのが楽しい、というわけでもないらしい。本当は犬の餌やりなんかの繰り返しの日常を送りたいのに、と大西洋の荒波(映像ですら恐ろしい)の中で涙ぐむ姿や、大勢の中で不調になって飯を食べるの食べないのと父親と押し問答をする姿をカメラはとらえている。やらずにすませたい、しかし現状の社会が言行一致していない。だから表に出ざるをえないのである。
 映画の、そして現実の希望は、トゥーンベリの行動に同年代の人々が共鳴して行動していることだ。一方で大人世代には、お前も映画に出てくる白々しい権力者どもと同じだぞ、と突きつける映画でもある。大人は、彼女のありかたに感動なぞしている場合ではないのである。
 なお、マレーナ エルンマン ほか『グレタ たったひとりのストライキ』(海と月社、2019年)は、家族(とくに父 スヴァンテ)からの視点がわかって、これも興味深い。

※ ところで、この映画の原題は「I Am Greta」である。本の原題も「Scener ur hjärtat」(おそらく「心にしたがった結果」くらいの意味)だ。日本では、彼女が「ひとり」であることを強調したがるのは面白い。
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© 2021 三木敦朗