森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
イチョウ:奇跡の2億年史
ピーター クレイン
河出書房新社〔河出文庫〕、2021年(2014年)
街路樹は問いかける:温暖化に負けない〈緑〉のインフラ
藤井英二郎ほか
岩波書店〔岩波ブックレット〕、2021年
モミの枝など見ていると、葉の付きかたが いかにも古風で、恐竜とともにあった姿を思い浮かべることができる。しかしイチョウは そうはいかない。河畔に生えたイチョウの葉をイグアノドンがのんびりと食む――という風景に、どうも違和感を感じるのである。樹木の「生きた化石」の代表格なのだが。この違和感をたどると、天然のイチョウの林をイメージしにくいことに理由があるように思われる(自分の無知を措くとすれば)。公園や街路にあるので、なんとなく近代的な印象があるのだ。
イチョウは、かつては地球上の多くの地域で繁栄していたが、現在では中国大陸のごくわずかな地域に自生する遺存種である。自生地では古くから利用されてきた木だろうが、中国でも栽培され始めたのは意外と新しく1000年ほど前のこと、日本では600年前であるという。それ以前の和歌や随想・小説にイチョウが出てこない。『イチョウ』は、「枕草子」の時代に植えられていたなら清少納言が書かなかったはずがない、と指摘する。たしかにそんな気がする。
ではなぜイチョウは植えられるようになったのか。その美しさ、ユニークさと、ちょっと乱暴に扱われても大丈夫な特徴が、街路樹として好まれたという理由がある。また、薬としての効能も期待された。欧米では、銀杏ではなく葉のほうを記憶力に効くものとして用いるのだそうだ。日本では、錘下気根が乳房に見立てられて信仰されるという文化的背景もある。『イチョウ』は、こうした人々のおこないが、イチョウを衰退から免れさせたことに注目する。これは他の絶滅危惧種でもできるのではないかと。
その類例がメタセコイアだろう。最初は化石から発見され、絶滅したのだろうと考えられていたメタセコイアが、これも中国の奥地に生き残っていたことが明らかになり、世界へ移植された。この、アジア太平洋戦争から国共内戦の時期の出来事は、斎藤清明『メタセコイア』(中央公論新社〔中公新書〕、1995年)に詳しい。メタセコイアも、原産地では棺の材料として人々に保護されてきたのではないかという。戦後の日本では、復興の象徴として、また初期成長のよさからパルプ用材としても期待されたようだが、今ではもっぱら公園樹である。
植えられたときには思い入れもあり、それにまつわるドラマもあるのだけど、大きくなると邪魔ものとして扱われることもある。『街路樹は問いかける』は、街路樹を、街の景観をつくり、地表面の温度を下げる役割をもつものとして、技術者を配置して扱うべきものであると訴える。農学部のユリノキ並木を見ると、こういう管理が可能なのだろうかと思いもするのだけど、街路樹を考えるときの参考になるだろう。
© 2021 三木敦朗