森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
わたしは「セロ弾きのゴーシュ」:中村哲が本当に伝えたかったこと
中村哲
NHK出版、2021年
 アフガニスタン・パキスタンで活動した中村哲 医師が、銃弾にたおれて丸2年である。このかん いくつかの本が刊行されたが、活動の全体像がわかりやすいのは本書だろう。インタビュー集である。このあと自伝『天、共に在り』(NHK出版、2013年)や『希望の一滴』(西日本新聞社、2020年)を読むとわかりよい。
 その偉業については よく知られていることだが、今回 気づいたのは、我々は農村計画の本としても読むべきだという点である。だから森林・環境共生学の本の一つとして紹介しておこう。
 著者はもともと神経科医である。ところが、パキスタン・ペシャワールの医療活動では、「携わるものが居ない」(『天、共に在り』54ページ)のでハンセン病の治療を担当した。ハンセン病は末梢神経を麻痺させるので、知らず知らずに負った足の傷が重症化する。そこで病院の中にサンダルの工房をつくり、足をケガしないようにした。患者はアフガニスタンからもやってくる。その人々を治療するために、アフガニスタン側にも診療所をつくる。清潔な水さえあれば避けられる病気で命をおとす子どもがいる。だから井戸を掘る。渇水で農業ができなくなると、農民が難民化し、あるいは生活のために銃を手にとってしまう。それを防ぐために水路を築いて河から水をひき、沙漠になってしまった農地を復活させる。
 このように著者は、自分が得意なこと(だけ)をするのではなくて、人々の困難の原因をなくすのに必要なことに手を出していく。医師が水理学や重機の操縦を習っているわけがないから、そのつど身につけているのである。この姿を、動物たちに頼まれてチェロを弾いているうちに、いつの間にか巧くなっていくゴーシュに自ら喩えているわけだ。もちろん、本人の極めて高い能力と、各分野の専門家の協力があるからできたことだろう。しかし、森林・環境共生学も、なにか一つの原理を追究する学というよりは、現実社会の問題を解決するための学なので、この姿勢には学ぶべきところがある。
 病気にならないように生活環境を整えるというのは、信州の、農民の職業病・生活習慣病を予防する「農村医学」の実践(若月俊一らの佐久総合病院)と、似ていると思う。ここでは、集団赤痢の発生を契機として、広域上水道の整備がおこなわれた。家屋のまわりの衛生状態を清潔に保つように指導してまわる仕組みが、のちに健康管理の仕組みへと発展している。農山村の課題は、自分の専門分野の視野の外にも、目を向けることを要求するのだ。
 また、アフガニスタンの農民が困窮する背景には気候変動がある。降雪量の減少による渇水や、長雨による洪水によって、伝統的な水利施設では対応できなくなってしまっているのだという。そこで著者は新たな水路を建設をするのだが、日本の江戸時代の治水技術を参考にして、現地の人々が補修できる仕組みにしている。先進国の機械やメンテナンス体制を前提とした施設を作ってしまうと、破損したときに現地で直せないからだ。技術開発のレベルを高めることは必要だが、最高の水準のものを現場に入れるのが必ずよいわけではない。使い続ける人のことを考える必要があるのである。
 「「平和」とは大地の上に築かれるもので、自然と人間との関係のあり方が大きな意味を持つような気がしてならない」(『希望の一滴』92ページ)。これは農学部の我々にとっても示唆をあたえる言葉である。ただし著者は、大地との関係だけをみていたわけではない。アメリカはアフガニスタンで戦争をし、日本はそれに加担した。そのとき著者は、自衛隊の派遣が現地での日本への信頼を損なうもので「当地の事情を考えますと有害無益でございます」と国会で述べることも厭わなかった。
 沙漠の防砂林(著者の言葉では砂防林)の造林については、『天、共に在り』の後半が興味深い。
戻る
© 2021 三木敦朗