松本や伊那など、里山にアカマツが多い地域では、いま松枯れ(マツ材線虫病)が進行している。線虫をカミキリムシが媒介することによって発生するものだ。全国ではずっと前から経験されてきたことだが、信州ではここ10年くらい目立つようになった。
どうすればいいのだろうか。被害の初期には、農薬の空中散布や、被害木の伐倒・燻蒸処理、薬剤の樹幹注入などで対応するのが常だ。林床でビニールにくるまれたマツの丸太を見たことがある人もいるだろう。
しかし、松本周辺では、どうやらそれで対応できる段階を超えてしまった。市民からも、健康や環境面の懸念から空中散布を中止してほしいという声が出て、市長選挙の一つの論点ともなった。
今後どうしていくべきか。今回紹介するのは、松本市が設けた検討会議がまとめた提言書だ(本ではないけど……)。
狭い面積の海岸林や、公園や景勝地ならともかく、広範な森林全域で松枯れを食い止めることは難しい。そうであるならば、被害を受けた・受けつつあるマツは伐採して利用し、次の森林を育てるべきだろう。提言の基本線はそうなっている。提言の内容は現実的なところだろうと私も思う。
アカマツは立派に育ち、それぞれは森林所有者の財産である。財産を病虫害から守りたいと思うのは当然だ。森林が枯死すれば、山地災害も増える。だが一方で、被害地が拡大していく中で、局所用の防除対策をとりつづけることはできない。難しい選択である。
私たちが農学部にいるのは、こうした難しい課題を考えるためだ。実際に地域で考えぬかれた結果から学べることは多い。比較的短い内容なので、ぜひ読んでみてほしい。
提言で注目したいのは、次の森林を育てていくことを提言するだけではなくて、新しい森林の管理・利用をひらこうとしているところだ。
たとえば提言は、「所有者の協力を得ながら、市民が気軽に里山に入り、その恩恵が感じられるような場や機会を創出し、最も身近な自然の一つである里山の恵みに触れられるようにすること」が重要だと指摘している(11ページ)。かつてアカマツ林は、燃料や材木(用材)の供給源としてさかんに利用されていたわけだが、現在ではそうなっていない。信州の(日本の)大部分は森林である。これではもったいない。また、市民が森林にふれられるようになってこそ、森林をどうしていきたいかという創造的な議論ができる。森林所有者の意欲も増すだろう。
もっとも、市民がルールもなく勝手に山に入り込むのは、森林所有者にとってはいい気分がしないだろうし、また非所有者の市民も気兼ねがあるだろう。だから「市民による多様な活用ができる制度を整えること」「森林再生に多様な主体が関われるような、松本市ならではの新しい入会(いりあい、一定の地域の住民が特定の森林を共同で利用すること)の仕組みを構築すること」が必要だと書かれている(12ページ。入会(いりあい)については講義で説明します)。
さらに、松枯れ対策を考えるための検討会議(一時的なもの)を発展させて、常設の「専門家や事業者、市民などが参加する「松本市森林再生市民会議」を組織する」ことを提言している(15ページ)。立場の異なる人々が意見交換をし、合意形成をはかる場を公的・日常的に設けるというだけでも面白いが、特に注目したいのが、この「市民会議」がつくった「長期ビジョン」を、松本市の「公的施策は、常にこの長期ビジョンを反映したものとして策定されるべきである」と市の組織よりも上に置いていることだ。
地域の森林の管理・利用をどうするかは、地域の人々が決める。これは国連の「
小農の権利宣言」(2018年)でも確認されている、世界の大きな流れだ。その流れが、私たちの身近なところでも始まっているのである。信州の地域の取り組みから学ぶ意義が、いっそう高まっている。
ところで、提言で一つだけ気になるところがある。「「空中散布をしても効果が弱かった、効果が無かった」という過去の批判はする必要はない」(7ページ)という部分だ。なぜ効果の薄い(公的資金を用いた)対策を続けたのかという検証は、なされるべきだろう。
それはたぶん、「専門家による科学的な説明および防除の指導を受けなかったことが背景にある」(6ページ)。どうして専門家は関与できなかったのか。松本市に本部をおく信州大学は、このかん適切な役割を果たせたのだろうか。私たち自身の検証課題だと思う。
提言の全文は
松本市ウェブサイトでダウンロードできる。