森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
なぜ田んぼには多様な生き物がすむのか
大塚泰介・嶺田拓也編
京都大学学術出版会
2020
古代の文献に、日本の美称として「秋津島」(あきづしま)という言葉がみえる。秋津とはトンボのことだ。「豊葦原瑞穂国」(とよあしはらみずほのくに)というのもあった。葦(アシ)の穂が豊かであるという意味だから、トンボが発生するような湿原が多かったのだろう。
河川の後背湿地は、水田にも適した土地だった。日本に水田稲作が伝播して約3000年、この人工的湿地は、それ以前からの自然の湿地とあわせて、日本の生態系を特徴づけてきたといえる。いまや湿地は開発によって失われているので、水田でしか生き残れない種もいる。
水田は身近なものでありながら、その生態系が詳しく調べられるようになったのは意外にもつい最近のことだという。たとえば、水田に約6000種の生物がすむことが明らかにされたのは2010年ごろである。
害虫や益虫は以前から当然注目されてきたが、農民であり研究者でもある宇根豊が書いているように(『日本人にとって自然とはなにか』筑摩書房〔ちくまプリマー新書〕、2019年)、そのどちらでもない「ただの虫」については関心が低かったのだ。かつて水田ではフナやコイを飼い、それをタンパク源にしていたのだが(たとえば佐久地方の名物・鯉料理など)、水田にすむ魚類の生態研究は今世紀に入ってから本格化したという。
また、藻類などは見た目での分類が難しく、2010年代にDNAの解析(PCR法)が簡単にできるようになってから、新しい発見がなされている。オタマジャクシが何を栄養源にしているのか、はっきりわかっていないというのも意外である。身近な環境の中にも、人類の知らないことはまだまだあるらしい。
ところが皮肉にも、研究が本格化したこの20年間で、目にみえて生物多様性がそこなわれているという。
一つの要因は、農地のありかたが変わったことだ。農業経営を大規模化して農業機械を大きくすると、農地の一区画も大きく、四角くある必要がでてくる。そこで圃場(ほじょう)整備がおこなわれるが、この過程で農地と水路の落差が大きくなる。すると、水田と水路の行き来がしづらくなり、常に水が必要な生物は減ってしまう。もちろん、水路への魚道の整備など対策は始められているが、その農地だけに設置しても、下流側で川との落差があると意味がなくなってしまう。
生物によっては、水田と森林とを行き来しているものがいる。その保全のためには水田と連続した環境である必要があるが、山あいの農地は耕作放棄に陥りやすい。そのほか、農薬の効き方が変化したことや、外来種(国内の他地域からの人為的移入を含む)、温暖化(水温の高温化)の影響もある。
しかし研究が追いついていない。どの種が、水田だけにしかすめないもので、保全を急がねばならないのか。それは地域によっても違うだろう。しかし「水田に生息するどの種を重点的に守るべきかが見えないまま、保全の試行錯誤をしている状況にある」(166ページ)。保全には手間がかかるが、農家に無制限に負担をさせるわけにはいかない。環境保全型農業をしている農家には金銭的にもプラスになるようにする必要があるが、そのための「農業生産(害虫管理)と生物多様性保全を包括した理論である総合的生物多様性管理」(206ページ)の確立はまだである。
森林・環境共生学の視点からみると、農地との境界では、水田と森林を行き来する生物のことに注目して森林管理をしていく必要があることがわかる。生物は「縦割り」の世界のなかで暮らしているわけではないのである。
© 2020 三木敦朗