森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
薪を焚く
ラーシュ ミッティング
晶文社
2019

採集民俗論
野本寛一
昭和堂
2020
 信大農学部が位置する上伊那は、おそらく日本一の薪づかいの地域である。
 薪ストーブの煙突が見える新築住宅はめずらしくない。旧来の住民だけでなく、新しい住民も薪に親しんでいる。これほど森林と住民とが近い地域も、なかなかないだろう。
 だが本場には負ける。
 『薪を焚く』は、ノルウェーのジャーナリストが、薪のあれこれについて取材した本である。全300ページ。いくら冬がきびしい地域だからといって、そんなに書くことがあるだろうか?
 薪をとる森について。どの樹種が好みか、いつ伐るのがよいか。薪をつくる道具について。チェンソーメーカーについての各人のこだわり、斧や薪割り台の様々な種類(一種類ではないのだ)。割ってから十分に乾かさないと薪にならないが、その際の積み方も様々な流儀がある。そして薪ストーブもいろいろなタイプがある。薪の乾燥具合や、ストーブ内での薪の積み方については、科学的な研究からの指導もある。薪ストーブの科学的な点火方法、たぶん「薪に火をつけて」と言われてみなさんがやるときと違いますよ。
 薪の文化があるということは、それだけ人々のなかに語るべきことがあるということだ。薪を割ったとき、積んだとき、あるいは火をつけてストーブの前にいた時々の記憶が、文化をつくる――ということもできるだろう。森林の研究は、それを新しいものとして人々の中に再生することにつながるのである。

 『採集民俗論』は、民俗学者による本で、森林での木の実などの採集利用が日本各地でどのようにおこなわれてきたのかを書く。700ページ余。
 民俗学は、日本の農村社会を記録・研究してきたのだが、その中心には水田稲作があった。だから、栽培ではない「採集」については手薄になってしまうところがあったという。
 私たちも、縄文時代は採集で、弥生時代以降が栽培の時代だと思っているが、実はそんな単純な移行ではなくて、森林での採集活動は人々の暮らしを近年まで支えてきた。楽しみとか季節行事というだけではなくて、冬のカロリー源としてきわめて重要だったのである。
 この厚い本の前半3分の1は、野生の木の実をどうやって食べていたのかを記す。長野県の事例も多い(著者は、飯田にある柳田國男記念伊那民俗学研究所の所長であったこともある)。最初はトチの実で、これに100ページを割く。
 樹木の実は食阻害成分を含む。渋みの原因になるタンニンや、石鹸のように泡立つサポニン、毒として利用されてきたアルカロイド系の物質などだ。堅い実を砕いて水にさらすだけでなく、灰とともに煮たり、発酵させたり、非常な手間をかけて加工しないと食用にならない。山の人々は、木の実を粉にして保存し、冬の食料とした。粉を味噌汁や飯にかけて食べたというから、かさ増しやカロリーの補充の役割があったのだ。
 しかし木の実や山菜を食べていたのは、稲作ができなかったからという消極的な理由からだけではない。それだとトチのようなやたら手間のかかる食品に執着する説明がつかない。著者は実食してみて言う。これは嗜好でもあったのだ。木の実から渋みや苦みをすべて抜いてしまうのではなくて、いくらか残す。それが口に爽快感をもたらす。
 また、刺激のあるものを食べることは、その植物がもつ生命力を身につけることでもあり、冬のあいだに体に溜まった悪いものを追い出して生まれ変わるという儀式的要素もあった。現代でも、春先にふきのとうやタラの芽、よもぎなど苦みのあるものを食べる習慣に伝わっている。
 人々は長い間、山から季節ごとに様々な食べものを得てきた。生活のかても、一つの産業ではなくて、様々な仕事から得ていたのである。そうした複合的な生業(なりわい)が当たり前だった。これを、年がら年中たった一つの仕事だけして生活するように単純化したのが「近代化」である。私たちはこれを「ふつう」だと思っているが、日本列島でのその歴史はきわめて短いのである(最近60~70年ほど)。長期的にみれば、これからの日本列島での生活は、複合的なものに戻っていくだろう。そのときに、過去の知恵が必要になるだろう。

 ところで、私にとっては次の点も面白かった。トチは、1反(10a)に1本が目安だったそうである。約30m四方に1本だ。それ以上になりそうな場合はトチの木を除去していた。トチは大木にならないと実をたくさんつけないので、最大の収量を上げるためには、あえて個体の密度を低くしないといけないのである。こうした密度管理の知恵が、古くからあったのだ。
 ワラビは毎年採り続けるとなくなってしまう。株立ちしているものを全部採り尽くすことは禁じられ、数本残す(もったいないと思うくらい残す)ことがどの地方でも格言とされている。また、ワラビを効率よく採るために山への火入れがおこなわれていたが、ワラビを採取したあとは森林に戻し、数年後にまた火入れをするようにしていた。
 こうした森林利用の知恵が、のちにドイツから輸入された近代林学(森林・環境共生学)の保続原則を受け入れることを可能にしたのかもしれない。
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© 2020 三木敦朗