森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
今さら人には聞けない木のはなし
林知行
日刊木材新聞社
2010
新・今さら人には聞けない木のはなし
林知行編
日刊木材新聞社
2018
フォレスト・プロダクツ
高田克彦・林知行編
共立出版(森林科学シリーズ)
2020
「あの本を読んだから、この業界に入った」というものは、しばしば共通する。ある世代の天文学者にはカール セーガンの『コスモス』に感化された人々が多いらしいし、わたしの世代の森林関係の人には宮崎駿『風の谷のナウシカ』が共通体験という人が多いように思う。
木材関係では『法隆寺を支えた木』(1978年)だそうだ。法隆寺の修復などを手がけた宮大工の西岡常一が、日本の伝統的寺社仏閣の木材利用の知恵や、職人の世界について語った本である。よく売れるのだろう、2019年には改版されて出版され続けている(NHK出版)。読んでみると、たしかに名著である。
ところが、伝統的な知恵が科学的にも正しいと言えるとは限らない。「木は立っていたころと方角と同じ向きで使うものだ」とか、西岡棟梁の話で「定説」となったもののなかには、根拠の薄いものもある。
また、なんとなくそう思われている俗説もある。「南側のほうが年輪が広くなる」とか「幹に耳をあてると樹液があがる音が聞こえる」ならばまだいいが、「木材は弱い」「ベニヤ板は安物」などは木の利活用を阻害する誤りなので、どうにかする必要があるだろう。
『今さら……』は、木材の業界新聞に連載されたものだ。木材を扱うプロでも、俗説や思い込みをそのままにしていたり、「なぜそうなるのか」を知らないことがあるということである。だからこの本を読んで、我々が「初めて知った」「間違って理解していた」ということに出会っても、大いに許されるはずだ(笑)(わたしは結構あった)。
技術が未熟であったころの失敗が、今でも人々の認識として尾を引いていることもある。たとえば「ベニヤ板は安物」。初期の合板が大豆を原料とした弱い接着剤で貼り合わせられていて、利用環境によってはベロベロはがれくることがあった。それで「安物」という印象がつくられてしまった。接着剤が改良された現在ではそのようなことはない。また、便利さゆえに本来の用途と違うところ(水気が多い場所など)で誤って使われて、欠点が目につきやすかったこともあるという。そもそも合板は「ベニヤ板」ではない(貼り合わせていない単板を「ベニヤ」という)。多くの誤認が重なって、合板にあまりいいイメージがないのである。
そのほかでも、以前は工場で接着や圧縮などの手が加えられた木材を「エンジニアードウッド」と呼んでいたように思うのだけど、最近ではこの用語はあまり使われなくなっているのだとか、木材に関わる新技術の発展によって、更新しなければならない知識がある。入門書であっても、繰り返し新しいものを求めて読んでいく必要があるということだろう。
合板の断面を見ることがあったら、木が何層に貼り合わされているか確認してほしい。まず奇数である。これには意味がある。偶数にすると反ってしまうのだ。
テーブルの天板などで、木材をギザギザにカットしてつなぎ合わせているものがあるでしょう(「フィンガージョイント」という)。そのギザギザ模様は、角が丸くなっている。尖ったギザギザにしたほうが、すき間なくピッチリ継げて見た目がよくなりそうなのに、丸くしている。
こうした理由を読むと、なるほどうまく考えられているなあ、と感心する。ふだん我々が気に留めないところにも、技術者の工夫があるのだ。
© 2021 三木敦朗