森林・環境共生学に関連しそうな本を読んで適当に紹介するコーナー
ナチュラリストの系譜:近代生物学の成立史
木村陽二郞
筑摩書房(ちくま学芸文庫)
2021

増補版プラントハンター東洋を駆ける:日本と中国に植物を求めて
アリス M コーツ
八坂書房
2021
 私たちは、生物が分類できることを知っている。たとえば裸子植物の「スギ科」の中には10属16種が知られていて、「スギ属」(Cryptmeria)の1つの種が、日本のスギである。学名はラテン語で Cryptmeria Japonica (クリプトメリア ジャポニカ)という。
 ただ、最近の遺伝子による分類(分子系統分類)では、スギ科はヒノキ科と一緒にしてもいいんじゃないかといわれて、「ヒノキ科」の中の「スギ亜科」の中のスギ属スギ、ということになっている(属と種は変わらないので、学名は変更なし)。
 実は、むかしはスギの仲間もヒノキ科に分類されていたのだけど、20世紀はじめにスギ科として分離されて、それが今また同じ科に戻されたわけだ。
 自然の中に目印がつけられているわけでないので、人間が生物を観察しながら、ああでもないこうでもないと分類をしてきたのである。

 生物を分類するというのは、それ自体がとても大変なことだった。『ナチュラリストの系譜』は、分類学を築いた人々の苦労をたどる。
 人間は、食べたり薬にするために、生物に対する関心は昔から持っていた。だから昔は「何に使うか」という観点で分類されていた。「客観的にみてどう分類できるか」という科学的分類を試みるようになったのは、17世紀になってからである。学名を「属+種」の二命名法で示すことにしたのは18世紀のリンネだが、この時代になっても、当時の人々にとっては薬草とその他の植物とを一緒に分類する方法は驚きだったという。
 植物をどう分類したらいいのだろう。生物にとって一番重要なのは繁殖だから、果実のつき方で分類できるのではないか。いやいや、果実は花からできるのだから、花びらの数で判断すべきだ。違う、受粉して果実になるのだから、雄しべ・雌しべの構造で分類したほうがいい。待ってくれ。ヨーロッパの外に探検に行くと、見たこともない植物がある。花のシーズンになるまで分類できないのでは困る。植物の全体的な特徴から分類できるようにできないのか。
 試行錯誤がおこなわれたのだ。どのエピソードもなかなかのものだが、私がこの本を読んで認識が改められたのは、とくにラマルクについてだった。
 教科書でラマルクというと、ダーウィンの自然選択説と比較されて、「高いところにある葉を食べようとしてキリンの首が伸びた」式の誤った進化論(獲得形質遺伝説)を唱えた人ということしか書いていない。ところがこれは過小評価もいいところなのだ。
 薬になる植物と違って、動物の分類学はすすんでいなかった。この分類を試みたのはラマルクである。こんにち我々が「脊椎動物」に分類されているのは彼のおかげだ。また、その研究のなかで、植物と動物はもともと同じ起源だったのではないかという考え(進化)を初めて示した。そして植物学と動物学をあわせて「生物学」(Biologie)という言葉をつくった。
 ところがラマルクの革新的な考えは、当時の主流とは異なっていたために低く扱われ、晩年もかなり苦労したという。そのうえ現代の私たちが「稚拙な進化論の人」としてだけ理解しているというのなら、あんまりである。
 科学に関する歴史的エピソードは、単なる「うんちく」「雑学」ではなくて、それまでどの人類も気づかなかった新しい概念を、最初に見つけ出すことの苦労と偉大さを知るために、ぜひ必要なのだ。

 ところで、分類は頭の中で思弁的に思いつくものではなくて、植物を採取・栽培して、観察するなかでおこなわれる。
 では自分の住む地域以外の植物はどうやって分類するのか。もちろん採りに行くのである。
 『プラントハンター……』は、開国前後の日本や、同時期の中国で植物を採取しまくった人々のことを紹介している。
 プラントハンターたちの動機は様々だった。学術的な視点や、産業的な関心だけでなく、当時のヨーロッパで流行していた、珍奇な動植物を収集して自慢したい金持ちに売るために、植物を探しにきた者もいる。珍しければ珍しいほどいい。
 だからプラントハンターは(ヨーロッパ人にとっての)未踏の地へ冒険する。だから山で遭難する。現地の人に追い回される(当然だ)。海賊にも会う。
 ヨーロッパまで持ち帰るのも大変だ。何か月もかかる。堅果ならそのまま運べばよいが、球根は土つきで箱に詰める。まだ栽培法の知られていない植物や、ヨーロッパの気候で育つかどうかわからない植物は、ガラスのフタがついた運搬箱(ミニ温室)に植えて運ばねばならない。嵐でマストが折れて箱の上に落ちてくる。土の入った重い箱を甲板に載せると船が不安定になるので、船乗りたちは嵐がくると箱を海に捨ててしまう。熱帯地域を通るときは水不足で枯れそうになる。
 金もうけや名声のためのプラントハンターたちの冒険は勇ましく、滑稽でもあり面白い。ただ、時代的背景としては植民地主義・帝国主義があって、ハンターたちもそのもとで行動しているということは注意してみなければならないだろう。
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© 2021 三木敦朗